HOME 佐藤敏宏 2013年 04月の日記 |
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4月29日 違法かもの めりえすの『月世界旅行』 (1902) カラー版 ユーチューブで見つけた |
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4月20日 晴れのち 花冷えにしては冷えすぎ雪が降ったとの風聞もあり 石卷本間家土蔵 屋根修繕終えたとのことなのでむき ワイワイしたり動画を撮ったりする http://youtu.be/NWSq83hKq5E |
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4月15日 毎日3日間 福島復興支援フォーラムの講義文字起こしをし もじweb頁を作る 明日から絵を入れて完成させよう 週2本の文字起こをすると ほぼ机に座りっきりとなるものだ http://www.fullchin.jp/f/fkadai/01/01.html my 長女から写真がおくられてくる ずいぶんすつきりした店内である |
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4月11日 満開の我が屋の櫻も散り始めた 11日に夜に あった 放射線影響予測システムSPEEDIとは?の講義の文字起こしを1時間15分ぶんほど文字にする 10日午後はmy長男の「扶養家族になれ」ということで各種資料を市役所などで取り歩く 夕方から文字起こし15分量を行う ■ 1週間前に建築会社の担当者に指示を出したのだが 反応悪すぎる 福島の建築業界は死んでしまったのか?おれが相手にされなくなったのかのような 様 気長に待ち作り上げたい |
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4月08日 かぜつよし 仙台の部屋は4階にあるのだが、地上のゴミや紙などが舞い上がり過ぎて 天高くまっている 風速かなり強い マンションの扉も閉めるのに大変。マンションのドア窓機密性低く 大風吹く度にガタビューなり続けている。 風が強すぎるので 気圧配置絵を貼り記憶の助けにしよう 今日から新学期が始まると my長男は大学へ出て行く。今年度からは研究所の勤務以外に授業もするようだ。 段ボールや紙など引越後多量に出ているのだが 町内会に資金集めのための回収日は月1回で今月は20日なので、まだベランダに置いて在る 7日は雨だったしmy長男も休日で ゴロゴロしたり TV観戦した。午後少し荷解きを手伝ったりする。夜9時に ドイツに勤めだしたmy長女とスカイプワイワイする。 昨夜は回線が途切れたりしていたが 話しの内容は通じるので とても便利なIT社会の地球上代わったこの春 北海道のmy次男からも電話ありて久しぶりにワイワイ |
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4月06日 関西から大雨大風がやってくるとのニュースが流れ続けている 午後 my建築を作ってくれる 担当者と会いワイワイする まずは 請負会社としての工程表と 見積もりを出すようにお願いし分かれる 実建築を作るのはセシウム都市フクシマでは 技量もやる気も消えているので 何とも俺からは発する言葉が無い。でそれを観察し作り記録するのも俺の役割なので 苛立ちもせず。 セシウム都市フクシマはこの先に 立ち上がることは無いと確信している 夜WiMAXにてアップのコードを仙台疎開部屋に忘れてしまって手も足も出ないので取りに来る 明日は大雨大風で不要な外出さけよのコメントがあふれていたのでその気になって 仙台に来る 。直前ドイツのmy長女から連絡あり 合い鍵ができたので 取りに行ってくれとのこと。 my長男が新鮮な酒を仕入れていたので 二人で呑む 仙台疎開部屋を使い始めて1ヶ月じく、小まめに宮城さん酒のんでるけど当たり外れ多し。今夜のそれはしぼりたてにて、春の微風をたのしむ少女の潔さだ。味わいなくも、春をいいだく気配ありよかー ■ 山形の酒の方が味がよいのは 仙台は努力しなくっても消費されるからなのかなー 酒蔵の人と知り合いになり 勉強してみたいよ |
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4月05日 庭の桜は9分咲きとなり 暖かし 冷蔵庫が空っぽなので 混合節と昆布で出汁をとり 香川産の乾麺を茹で 素うどんを喰らう 美味い。 色々入れないでうどんだけ食うのも好いと知る 思いだし書き 1日の夜 仙台疎開部屋に入ったが 2日午前 石卷市は雨で 屋根職人が帰ってしまったと電話あり 2日のワイワイは明日にのばした 仙台どんより雲のしたをヘリコプターが飛んでいる 食材など買うために逍遙する。夜はmy長男の飯などつくり 酒を呑みながらのんびりする 3日もやや風雨強くなるとの予報がでていたが 石卷本間家の土蔵工事現場にでかけ、本間さんから近況を聞き取り対応を練る 区画整理で引き屋をするなど 311遺構に似つかわしくない計画が市によって実施されそうだとの話しには驚きいる しかし民間所有の建築物なれば 対応むずかしいが 民間所有物の支援の仕方の今後の一課題となり明らかになっているのは好いと思う。 1年放置され工事が再開となる。千年に一度の大災害に遭ったのだから 大目にみて監理しているつもり 帰りに石卷線という仙台直通の電車に乗る 1時間20分ぐらい掛かった 雨でよる7時頃ノンストップ列車だったので どこを通過しているのか不明だった 4日 日中はぶらぶら仙台食材探しをしのんびり過ごし よるフクシマに戻る。年齢のせいか 激動の3月が過ぎ体力、気力ともに疲れているのか よく眠れる 仙台の町なかでも、色々なひとに声をかけてみた、反応は、80パーセントよい。たけちゃんまんとし、長年大阪のビジネスパークなど関西で都市っくり、をし現在My支援者にして、大学でも教えている、勝文さんの好い都市とは、人人が何気ない挨拶をしている、場所なんだと、俺に話してくれたことがある。311によつて俺はだれかれなく、声をかけ続けている。酷く愛されたり、酷く嫌われ者になったり、と。セシウム都市の出現は各地の無口な都市民に多様な言葉を授け続くている、しかし、勝文さんの定義から外れた、言語で満たされてしまった、残念だがここから始める俺はセシウム都市民だからね 21世紀10年までの、暮ら仕方はセシウムによって、俺の身辺からは蒸発してしまい、雲をつかみあつめ、氷らせつかみとれ!と神さまから命じられた2じゅうのフィクションのなかで暮らし続けながら、天然から遠く切り離された、天然の俺じしのの呻吟息を嗅ぎつける不快さと確かさしかわからず、確認する術なき隣人セシウムマンに挨拶しよき都市にしながら お金という、制度てきフィクションを介してしか、言葉が発せられ機能してない、させない多くの20世紀マンは都市民ではない |
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4月01日 庭の桜が開花しだす 家人のためのサナトリアムと化した我が屋にもセシウムがふり 3度目の桜が咲きはじめた 人間は放射能の低線量被曝をどのように受け止めるべきなのか?体に悪いのか?癌になるのか?など 専門家の多様な意見に触れ、あるものは心の病に陥り、あるものは大丈夫復興だ!元に戻らない福島にあって 空元気病のような態をしめしている。県民 全がセシウム病の落ちってしまった!?感が強い セシウム都市福島の2013年春である そんな中 家人と我が屋の桜は、セシウム混乱期にもあり 淡々と我が屋に暮らしつづけ季節の訪れとそもにそれらしく暮らしている ■my長女がドイツの研究所に今日、4月から勤務することになり 3月27日仙台空港から発った。4年間プロスポーツの選手のように働くようだ。 研究者も国境を越え 活動する時代であることは知っていたが、my長女がそのような人間になると想像をしたことがなかった。ドイツ人の受け入れ態度を聞いて驚くことも多いが言葉の壁を乗り越えて移動する身近な者の出現は 地球が少し歪んで身近になったことを実感する。国際貢献もすることだろう 夜 仙台のmy長男とともにスカイプというインターネット無料テレビ電話とでも言う機能をつかって1時間ほど my長女と3人で話し合った。2万キロ弱はあるだろうドイツと7時間ほどの時差を軽々と越え 隣の部屋でスカイプテストしたときの画像と音質だった、距離が消えとなり部屋と変わらない。地球や地表がチジミ ドイツが身近になったように思える 一時であった ■引越手伝いに明け暮れた3月 2月初旬にmy次男が北海道へ 3月27my長女ドイツへ 3月12,13日にmy長男がそのことによって広い仙台部屋に引越 兄弟の拠点としての部屋を確保するなどし べてよ順調に事が進み 一段落 今日から少しずつ自分の事もやり始めよう |
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