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     2012年  12月の日記
     
 
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 12月28日   この数日大寒波が襲ったようでカンカン冷えきって暮らしにくかった。家人も寒さ対策に追われ 部屋から出ずだった 今日は寒さが緩んだので台所などに立ち 仕事をしていたので安堵する
 
12月27日(金) 1830分〜2030分 福島市コラッセふくしま6階
 「
なぜ福島で大規模データの収集・公開が必要なのか
          −医療経済学からみた独立評価の重要性
  兪炳匡YOO, Byung-Kwang (ゆう へいきょう)氏
  (米カルフォルニア大学デービス校 医学部公衆衛生学講座准教授 医療政策・経済学) 
  を拝聴したし 質問もして 知見を得ることができた。福島には311以降優秀な人も最悪な人も沢山やってきて 大いに学ぶ事ができる 311効果だが 支払っている放射線被曝という対価として割に合わないけれど 大いに教えていただくつもり どんどん質問して自分の思考を鍛えたいと思う 

  右 YOO, Byung-Kwang 先生と2ショット
 

兪 炳匡さんの講演は情緒尽くめの日本のメディア人系の内容とは対局にある科学者の、資料にもとづいた内容かつ 説得力あり腑に落ちるものでした

■講演内容は3つで医療経済学は何を目指しているのか 放射能の健康への影響の対応 グローバル経済下の「この国のかたちを考える」の三点で 医療の現場からのデータを基に 米国での授業のような対話型の講演でした 音は採ってあるので いずれ暇なときにでももじして公開するかもしれません お急ぎの方は『 改革のための医療経済学』 メディア出版1900円+税 を参照ください

 311福島の(日本)未来は暗いのですが、冷淡なデータを共有できないと打開できないんだよねと再度思うことになりました。 あの日の数日間の被曝データー さえ無い!!この悲劇をどう知り共有することで乗り越えるのか 指南されたように思いました。

そうでなければ 俺はフクシマ・モルモットになれない=311フクシマを体験として語り継ぐ、未来の人々とこの困難と悲劇を共有することができないんだなと 痛感しました。  1から4号炉の放射能がどのようにばらまかれたのかさえ いまだに正確に知るための「放射の汚染マップ時々刻々データさえ無いわけです。 一体 政府や科学者は何をしておるんだ! と怒りさえ覚える被災民でなんですね 俺は

 兪先生の講演はデータの集めかた、と共有の仕方、そのことが社会に対し絶大な効果と説得力を持つのだとは 分かっていたことですが、実施できていない この私(=日本の政治行政のありかた)を再度指摘頂き、311後の市民の暮らし方や姿勢を指南され勇気がでました!情緒を脱し科学的に語りあい 次代をつくりだすという態度が フクシマ問題を共有し開くための端緒であるということです

復興支援フォーラムを主催する 今野先生以下福大の先生がたは いつも素早い!感想まとめてネットにて公開ありがとうございます。会場の人々が何を思ったのか?その多様性が分かり感謝しております。 講演をききならが 米国貧民がキューバで医療救助を求めるという筋のマイケルムーア監督『シッコ』 - Sicko を思いだし暗澹たる気持ちが消えずに拝聴しました 私が書き置いたかんそうはこれです

正しいデータを大量に集める、それを公開する、共有し研究することの大切さを知る。と同時に、福一事故後のリリカルな対応が、マスメディア・行政に共通した態度の様に日々感じている。日本に豊かな未来は、まだまだやってこないと思う。失われた30年ではなく、50603世代ぐらいかかるのではないだろうかと思った。(T.S


兪先生講演デレクション したのは福島のフリー医療ジャーナリストのHiroko Aihara (藍原寛子)さんでした。ツイッターで感謝をのべておく

初めまして昨夜の兪先生講演デレクションに感謝。311以降も多領域を横断し対話を創り上げ難問を打開し路を拓くプロの存在が少ない、縦割り二項対立=情緒で解決という福島にあって唯一貴重な講演内容。昨夜使ったパワポは公開するとのこと楽しみ「一貫した姿勢に感銘

 12月20日  

 午後30年ほど使った我が家の業務用ガス台を新調する。午前中は晴れていて工事日よりと思ったが 2時ぐらいから天候が崩れ時々吹雪くもさほどではない。

我が家の食の縁の下の力持ちご苦労様でした 古いガス台処分費用1万円ほど。バーナー部分は使用頻度にもよるが7,8年で交換した方がよさそう バーナー部ぶんぼろぼろになり横漏れ火もありとがたがたになっておりまして、30年使うのははは は引っ張り過ぎましたと我ながら放置しすぎたと反省する 

ガス屋さんにも来ていただきガス配管を修正してもらう セット後ガス漏れをチェックなどして夕方暗くなるまでかかる

 ガス台は既製品は高さが80センチなんだけど我が家の大理石・備え付けの食堂テーブルの高さを合わせ72pとする ガス台低い方が使いが手良さそう

 設置した様子 
 


 12月19日   

 鈴木達治カさんからの 55回の原子力委員会 の呟きあり 資料感謝!新野さんの継続した議論の場の作り方や活動と発言は とても腑に落ちました FBに貼らせていただきます国民の信頼醸成に向けた取り組みについてのヒヤリング …、音声:

 12月18日 強い  晴れたり曇ったり

■食材を買い出す。毎年my実家から30kg入り玄米を買い近所で精米し喰らっていた米。昨年か耕作禁止地域になり30年来続いていた実家米喰うことならず。我が家の者たちは「検査しているからOK」 米は福島産を買い食べてます。他県産米は検査していので喰わない 玄米精米して喰うら方が美味いだけどね

中村謙太郎さんがフェースブックに記事を挙げたのでこちらにコピーしておこう

先日アップした境野米子邸にて、米子さんに「昨日は佐藤敏宏さんを取材してたんです」と告げると「あら、敏ちゃん。しばらく会ってないけど。あの人は私と対極にいるような人ね。

私が古民家に住むって言ったら、敏ちゃんに、自分にとってはコンクリートが現代の民家なんだって言われて、へぇーそういう考え方もあるのかって(笑)」とのこと。

その佐藤さんが震災以後に繰り広げた活動から、脱原発を目指す私たちが学ぶべきことは何かを『チルチンびと』74号に記事としてまとめました。ぜひご覧ください


30年前に買った派手なシャツなんだけど 生地がよいので皺もよらないし 時間が経ってもへたらない 現代の民家RC住宅も放射線量室内は低いンです我が家

境野さん夫妻は県内では超エリート夫妻ですね。で20数年前だったか??境野さんに住宅設計依頼されたけど 私の様な野蛮な者の考えたと暮らし方が対局なんで 設計依頼を断ったという (思い出しました) きわもの田舎建築家なんですよ俺。、対局の人々から 物笑いにされているのは承知しているんですよ。my設計RC住宅は現代の民家だと相変わらず思ってて 久しぶりに設計した建築もRC建築っつう 変なおじいさんです(笑

ジャズ喫茶「涅雅」(NEGA)懐かしいですね!福島の若者文化の発信源でしたからね。 その建築が燃えた!お母さんもらい火で死。再建でしたので 泣きながら設計してましたからね 繁華街の敷地10坪に10坪(延べ30坪)の建築が出来た!奇跡ですねの事態は、もらい火で前建築が燃えなかったら出来なかったと思います。設計依頼が「地上げに遭わない建築」だったと思います 周りの木造建築はほぼ地上げされちゃいまして、地上げにも遭わず 30年間ほど発注者の生活を支えているお金に成る建築になりましたね



 16日は選挙の開票所を人生初見してみた。自民公明の歴史的大勝利と予想された選挙の舞台裏はどうなっているのか?知りたかった

福島体育館は真冬で寒いなか4〜300人ぐらいの市職員がテーブルを囲み 3列ほど 壇上には掲示票などあり

記者席と参観席も設けてあった 

戦後最低の投票率 59.33%前回の政権交代選挙より10%ほど低下 原発事故により問題よりはデフレ脱却し 景気よくしてよ という意見が多く 脱原発は争点にならず というか政党乱立し 各党似たような公約を掲げたので 争点がぼけてしまった 漁夫の利を得た自民とうは得票数は4割ほどだっがが議席は8割もとるという 小選挙区制の制度設計が効きすぎ 大きく揺れ戻る 自民公明で325という驚くべき2/3を越えてしまうという結果

福島県内は玄葉外務大臣をのぞき全て自民になる 

安部総裁 はしゃぎ無しよで すで ヘマをしでかすとぶれ戻るを想定して慎重姿勢 小選挙区制は民意を読み損ね政治をしでかすと席を奪われちゃう 政治家を安穏とさせない よい制度かもしれない 大きくぶれ続けると 対外的には好感されないだろうが。日本で民主主義が成熟するためには 揺籃期が要るので 55年体制のようにだらだらと自民と社会で裏取引し続く政治状況より よい政治状況だと思う 

鍛えられて好き政治家が育つよう願うだけだ 


 12月16日  

昼時に 第46回衆議院選挙の投票に行く。子どもを連れた若い夫婦が多かったように思う。全国ではおよそ4万9000か所の投票所で投票が行われているとのことだが 総務省がまとめた午後4時現在の全国の投票率は34.87%と、前回=平成21年の選挙より6.96ポイント低くなっている、とのこと。 

3年前の選挙によって民主党政権に政権がかわった歴史的事実は 今回の自民党右より総裁のもと 大勝利の予想だそうだ。今夜真夜中に決まるとのこと。 政権交代時のマニフェスト実現出来ずの反省も満足に聞かされることもなく 右往左往する社会のなかの 政治の時代はまだだ続くだろう 政治家を誰が育てるのか?市民が支える時代はまだ先のようだ、もっと政治ががたがたになるまでそのような空気は生まれないのではないか?

■311以降 放置したままのmyhp目次を少し整理してみる ようやく 311以前の時間が戻って来た今日この頃。 多方面に困難はあるが 急ぐことなくそれぞれに対応していこう。

■ フクシマ問題のごく一部の除染問題は 相変わらず 勉強中だが 俺が関わることが出来る領域はほぼなさそうだ との感想を持つようになる 実家周辺は実験的に除染が行われた地域だが 1年経ってもまだ1年1oSvを越えているような風聞もあり。我が家周辺の除染は再来年の風聞もあり。市役所へ行って 調べる気にもならず。 


 12月15日  午後上がる 気温がやや高めなのか雨だ
 
 家人、症状が悪る状態が数ヶ月続いているんだけど 病院に入れるのも気が進まない、かとって 安住の地を誰も与えることもできない 病識をもって薬を飲んでやや穏やかに成ってほしいのだが 病識が無いので薬も受け取りに行けず 堂々巡りの311以降 やはり311以降は放射能問題もあるが 病状の悪化を招いているので 困難が重なって我が家にはある 方法が無い 一喜一憂せず気長に対応していくしかない my次男との折り合いがうまくいかないようで その件が孤立感を高めて症状を悪化させているのかもしれない

■ 13日に貼った動画の内容を 昨日は今中哲二さんの飯舘村調査報告 (2011年4月13日 衆議院第三議員会館 で開かれた飯舘村周辺放射能汚染調査報告)のweb頁を見やすく仕上げようかと思ったが穏やかな天候だったので 我が家の北面の除染作業に切り替え4時間ほど行う。4〜6μSv浴びたかもしれない。北面の道路は私有地で土だし凹んでいるのでセシウム集まり易い形状だ。

 近所の人が行き来しているので情報交換 、我が地域は平成26年除染となるとか??あれ2年間で終わるはずだったが (一年延びたの??と思う。市役所に聞いてみればいい)
立ち話をして驚くのは10万円もする放射線測定器を持っている人が ほとんどで 俺だけ持っていないことが判明する(笑) 測定した線量結果を聞いていると オタクのここが一番高くって0.8」とか言う。高額な測定器で測っている!!




このデータを観ると俺がどのぐらい被曝したのか計算できそうな気分になってきてる 今中先生PDFより


■明日は衆議院の投票日だが 大きく右傾化した自民党が大勝するとの予測が県内はもとより 全国の傾向だそうだ 300議席も見えてているような週刊誌の記事も見え げんなりする 明日キチンと投票してほしいものだ

■13日夜は福島大学関係者が主催している 復興支援フォーラム27 「原発事故子ども・被災者支援法の概要と問題点について 今野順夫 福島大学名誉教授による解説があった 

原発事故子ども・被災者支援法の概要と問題にについて」
 
1)災害法制のあらまし
2)避難する権利を巡る国際動向 
3)チェルノブイリ法(年間一ミリシーベルト以上の被曝量の地域を「避難の権利地域」と定め避難者と在留者の双方に医療 居住、仕事などの現物支給を含む補償を国が行う)
4)避難状況と避難者の実態報告
...
5)歩入りちゅの制定 法の主務官庁?
6)支援法の内容

まだまだ沢山ありますが など色々講義 そのご1時間ほどの質疑応答あり 濃い話合いでした 
自由に垣根無しで話合う事ができるのが 復興支援フォーラムの最大の魅力であると 思います 継続的に参加しるようにしようと思いました

参加するだけはとても楽ちんだ 主催する場合のエネルギーの消費量とくらべたら断然すくなくって効率的 だが 主催した場合と比べ満足度はぐーっと下がるのが欠点


  12月13日 

 京都大学原子炉実験所の 今中哲二さんの放射能汚染調査からみた福島とチェルノブイリ 報告を文字化し共有可能なweb頁をつくろうと 思い始める 2011年3月15日は福島 原子力発電所の事故の2号炉の格納許容機が割れて沢山の放射能がまかれた日である あの日何が起きていたのだろう?という素直な疑問をするためのだ一歩にしたいわけだ

 ユーチューブを含めた 各種クラウドは大変ありがたいものである 

    




 12月12日  腫れても気温上がらず寒い

■フクシマ支援フォーラム「原発事故子ども 被災者支援法の概要と問題点」今夜だと思っていたら明日だった

■ 12月6日現在避難者数が発表された
152,472名 (県外58,608 県内93,864)

★除染直轄地域ないの 財物賠償額 が示された 家族構成大人2子ども一人 土地固定資産評価額300万建物固定資産評価額 861万 平成19ねn地区木造延べ面積 52坪のモデル例で帰宅困難地域 5,713万円 居住制限区域 3,118万円 避難指定準備解除区域 2,036万円 この金額で生活再建できるとはおもえないね


 12月11日  

このところ除染やフクシマ問題を勉強中 民主 主義は是と非だけで事が進んでしまう悪い例が 中間貯蔵施設の場所についての 議論にも起きている 除染ありき他の路は無しのような世論誘導がつづくなか 双葉町の町長さんは「町には生涯つくらせない」と言っているので 周りの首町に追落としさせて ことを運ぼうとする 民主主義の悪い例を観ることができる

 以下フェースブックに書いたこと

井戸川町長追落し 中間貯蔵施設ありきの道へだね

★中間貯蔵施設を作らないと 勝手に決めた国策である「除染が進まない。予定候補地の厄介者は追い出すという扱いである。 「生涯中間貯蔵施設を受け入れることはない」と述べている 井戸川町長を双葉郡町村会が追落とした構図になっているが 裏があるだろと邪推しおり

 着々と除染ありき 除染工事こそ 福島の大地を救う唯一の方策 という硬直した考えへ 世論誘導が完済しつつあるわけだね

 なんで期限付きで事を除染をすすめなければ成らないのか?中間貯蔵施設はな双葉郡内でなければならないのか? 県内の有権者同士が まじめに話合ったことなんて無いんじゃないか (県内の議会がしているかどうか知らないがたぶん国の策を鵜呑み通過してるはずだ) 各除染への経過うさんくさいこと限りなし

 12月10日 

取材を受けたのはいつだったか思い出せないが 4時間ぐらいワイワイ呑んだ記あり まとめるの難しそうだなーと思っていたのですが my活動を簡潔に紹介していただきました
『チルチンびと』季刊2013年冬 74号です (風土社 980円) 中村謙太郎さんに私の311以降の奇妙で混在混交した活動を取材していた内容を簡潔で巧みにまとめていただき記事となりました 中村さんありがとうございました。

 原発事故被災地フクシマでも当然のこととして異なる他者との対話こそ求められている現在です。 多様で多文化の様は争いが絶えないわけですから対話術が求められている世紀なんです 21世紀は「対話の世紀」を自覚してのmy色々活動の内容の困難を記事にしていただきました 
 新 シリーズ脱原発 「住まいと暮らしから考える脱原発」の最初に俺がとりあげられ誠に光栄です。htps://www.facebook.com/chil.no.nukes フェースブックで意見を求めているので 投稿してみてください

 



 12月09日 吹雪 寒い一日

久しぶりに我が家で建築あそびを開いてみた 参加者は6人
 ★★ 12月9日の事雑感記 ★★
■参加者
   (福島市)私戸 近所の40代の保健室の先生と語る女性公務員 
   (飯舘村)菅野さん農業 愛澤さん学校の事務職員
   (東京圏)森口先生東大教授 高畑さん(竹の子医者)ふくしま会議事務局
 
■頂いた資料 除染プラザ 除染関係Q&A と低減化対策の手引き2種類
フェースブックに書いたこと
除染について in建築あそび我が家 皆さんありがとうございました
菅野さん愛澤さん高畑さん 森口さん そして俺 近所の女性の方6人で3時間ワイワイ 面白かったけど困ったことだった 生きている基盤と地域とそれぞれの生活様式年齢があまりにも違い過ぎるので、この事態で「フクシマ問題を語り合うために」人を集めるのは困難である そこが原発事故問題の面白い起点なのでだが まだ存分に起点に到達するまでの 個々の語りが済んでないのであった

★ 5年ぶりで我が家で建築あそびを催した 建築系の人
達ではない初会合と記しておこう(色んなことワイワイしてたので嘘だけど)
 フクシマ問題を語るための会なので 建築系の誰にも呼びかけずまずは 寄り集まり来る人と話合うことにした。11月11日のふくしま会議の「除染分科会の話た内容を」を引き受けて話合うの予定だったが まったくそのように展開せず 詳細な内容になってしまい 大変驚いた。 しかし個人の問題として原発事故を誰も語っていないことによる 事態であるし 観念して聞く

フクシマの人もっとしっかりしないと駄目だよ と言っても 受け取る福島人は居ないのである さてどうするか 気分が向いたら 対応出来ることしかできない 建築系の従来の活動に専念するか 結論は3月末まで決めないことにし フクシマで生活しながらその時々の多様な出来事に対応することで 様子を見るしかないのだ と覚悟を再度決めてみる ★困ってないのに困ったとも言えず困ったな^^〜


★ ★話合ったこと 除染部会の内容を引き継いだ語り合いに到達しませんでした 不在の他者の声をどうするか問題は引き続きあがりました。
 その他の議題をざっと書いてみます 間違いや他に重要な点があればお知らせ頂ければ嬉しいです

1)ふくしま会議って何?事務局と裏方について 福大との関係 今後の展開?
  国立環境研究所の方々が言い出しっぺ グロービス大学の関係者が裏方 
  福大とのつながりはまだ弱い 今後は被災地の人に「ふくしま会議」を運営してほしい
2)フクシマ問題を話合うに当たり1号炉 2号炉 3号炉それぞれが放出した時々刻々の放射能マップが必要である
  生データを集め誰がつくるの、いつ・どこに公開するのか
3)メディア信用出来ない問題
   マスメディアの性格は記者クラブ制にって発せられる。スポンサー企業+官僚省庁+行政に寄った
   ストレートニュースがほとんどで「被災住民が求めている生の声は載らない」記事の行間や継続し裏を読む姿勢が要
 4)高濃度地域と 中濃度地域 低濃度地域の被災民の連携や効率的な組み合わせを作り出し
   除染とまちづくりを連ねた活動へ位相を換え進めるのがよいのではないか
 5)多様な組織が多様に活動中であるが 被災民は外部からやってくる支援者達を受け止め難いのではないか
   対立した意見の人を召喚しステージを設けて聞く場が必要だ
 6)情報や場のシェアを検討する必要があるのか(福島にも飯舘内にも組織が多数あるのでどうするのよ)
 7)確実な情報を発するためには実名顔出しが肝要でそれ以外の情報は創作できるから
   匿名性は被災地の事実として後世に有用な記録にはには成らない
   愛澤さんが個人で村に意見書提出したことで起きた問題の様な 例を どう支援するか。
   名を明かさず参加した人(女性)の語りにどう対応するのか? 2ちゃんやツイッターのような匿名性が緩く保たれる場で語るのが好いのでないか
8)5に関連し被災民は外部からやって来る支援者や支援組織とどのような関係を構築すべきなのか
 9)勝手に勉強会などは「ふくしま会議」の統治から外れてあり可 どこでもいつでも自由が保たれている
10)1月13日の会議のテーマは 愛澤さんの問題の 提起がよいのではないか
   1月12日の前日に森口先生などの会議を福島で開き傍聴可能としてはどうか

我が家でワイワイ後 福島駅で森口先生と別れ 高畑さんと「ふくしま会議」新事務所の場所を確認しました
  (1階キッチンガーデン 3階にシェアオフィス)1,3階ともシェアスペースのようですが不明です
■ 居酒屋で高畑さん菅野さん佐藤で呑み のち7時50頃鬼頭先生が参加さました

■9時過ぎ高畑さん鬼頭先生東京へ戻り 菅野さんと佐藤が2時間ほど話合いました。

 「話合った内容 資料は公開しない」こととしワイワイ開始したなので 内容はお知らせできません

今後の事
 津波被災地の人々とフクシマ被災民の心模様の配列は ほぼ似ておりました。
 漁村のように老化し尽くしていないだけ 飯舘村の状況の方が困難も有るけど希望を描く端緒は見つけやすいと思いました。
 
 役所を敵と見なし怒り語りすっきりし終わり次の展開を話すとことがない姿勢は
 311以前から 日本各地どこででも観ることができる恒常的な「日本病」なので
 311によって統治システムが壊れが 欠点が見え易くなった好機に乗り 日本病を看取り
 次代を拓く道へと一歩踏み入新人を揺籃するのが俺の役割なのかなーとささやかに思った次第です(気が進まない)
★★自腹で被災地へ入ってくる皆様に心より感謝申し上げます
 研究やのちの活躍の場に展開できる事態をフクシマ問題から抽出されれることを心より願っております
 くれぐれも無理なさらず対応いいただければ幸いです

皆様の誠意に応えることはほぼ出来ませんが今後も御指導ご支援よろしくお願いいたします


 12月07日 薄曇り  ときどき日射しあり

 午後5時18分ごろ、東北と関東地方で震度5弱の地震があった 新幹線と東北本線は 止まっていた 踏切が開かず 迂回し家にいってみる 何事も無かった

★数日国会での参考人意見陳述の読み直しweb頁に加工してた あんがい手間取る作業だった。計3時間ほどの意見陳述と質疑応答 福島国民必読 あの日の語りで児玉先生は一挙に評価され 注目されたわけだ

 (児玉先生は社民党推薦と推測)

★ 年間20osvでくっきり分け 安全安全じゃないをワイワイしたのは どこに根拠があったのか?調べてようやく判る(時間掛かった−) 国会参考人意見陳述をみやすくwebに加工した(参照

放射線作業従事者は年間20oシーベルト以下とし(それ以上被曝したら労災だろうね)と語られている (今中参考人の最後の方

年間20oシーベルト以上、50o未満の被曝予想地域を国直轄とし除染していると推測できる。50oシーベルト以上の地域は除染の方法が無いので 居住禁止とされた わけだ。

20oから 1oまでは非直轄地域として市町村に除染計画を任せたわけだ 非常時だからこの程度被曝しても支障が無いと判断したのだろうと 判った気分になる

 問題は精神的不安の解消だがこれはとても困難な事態と推測できる まだまだ掛かりそう

 12月03日 どんよりした無風

我が家の屋上の 雨樋 ルーフドレン周りを除染した

数日前の夢のお告げに(夢の絵柄が悪い)でた屋根周り、特に雨樋に集まった枯れ葉や それが朽ちて腐葉土になった部分を丹念にさらい取る。 集めた枯れ葉などゴミ袋に入れて何度も屋上へ行き来し下ろす。

 今夜から見る夢の告知ははははは 好ましいかも〜


my次男によると 支所から借りてきたメーターで屋上を計測したら 5月1μsv時だったとのこと。年間5osvぐらいなので 健康には害はなさそうだが 緑苔は セシウムをタンと集めているような気分がしてしまうので 見た目に悪い。丹念に集める

家の中は0.1μsv時とのこと 家のなかで暮らし続けると 年間当たり05osv以下なので 家人はほぼ放射能に影響なさそうだ 

除染に対して猿知恵 つき過ぎると 余計な不安が湧いてしまうので知らぬが仏ってこもあるように思う

■ 12月に入っても写真に写っている信夫山北西斜面の木々は葉を落とさず付けたままぁだー ハシゴを掛け 屋根に登って回りを見回してみる、屋根だらけだった。
 福島県では除染費用とし1戸当たり70万円を補助することに今年度初めだったか決めたけど 屋根を洗ったり 庭を除染したりして 70万円では出来そうも無いだろうと my除染にあらずだな〜落ち葉と腐葉土の片付けし しみじみ思うのであった。

 今年の1月1日から施行された放射能物質汚染対策特別措置 に至る検討会議事録を読むと 俺が今日行った行為は除染等の 等の行為であって 除染ではないことが解る

甚だしい誤解がまかり通り 除染効果がほぼほぼ行為にも税金が投入されていることが解る 。泥縄法であって 運用しながら整えていくしかないのだろう。 除染については少し勉強を始めたが ふくしま会議で知り合ったひとびと交流しつつ教えていただき  その領域でささやか活動してみようかなーという気分が湧いている



 02日
 どんより曇りがつづいている 資料作りをする

2011年7月27日 厚生労働関係の基本施策に関する件(放射線の健康への影響)は 共有すべき国会での議論なので  議事録を通勤時でも読めるよう 見やすく(?)web頁作り始めた

 児玉龍彦先生が有名になってしまった参考人意見陳述はこれ 

★昨年大波や渡利 そして現在福島市中央地区 市が発注して進めている「除染なる工事は除染等であって 除染ではない」とこの資料を読むと解る。ようやく腑に落ちた>>

検討会の終わりの方で海洋汚染防止と 除却土壌埋め立ての合わせ技が語られていた。 福一原発の海側に埋め立てれば 大熊などの民地の中間貯蔵施設問題は起きなかったわけだが 泥縄法なので 色々問題が発生してしまうことは解る なんたって安全だと皆40年間信じてたわけだし 責めるはこくかも

 2日の呟き

2011年7月27日 厚生労働関係の基本施策に関する件(放射線の健康への影響)は 共有すべき国会での議論なので  議事録を通勤時でも読めるよう 見やすく(?)web頁作り始めました http://t.co/P1DL6fLF

posted at 22:45:00

検討会の終わりの方で海洋汚染防止と 除却土壌埋め立ての合わせ技が語られていた。 福一原発の海側に埋め立てれば 大熊などの民地の中間貯蔵施設問題は起きなかったわけだが 泥縄法なので 色々問題が発生してしまうことは解る なんたって安全だと皆40年間信じてたわけだし 責めるはこくかも

posted at 14:12:40

昨年大波や渡りそして現在福島市中央地区 市が発注して進めている「除染なる工事は除染等であって 除染ではない」とこの資料を読むと解る。ようやく腑に落ちた>>http://t.co/343fGx9T

posted at 14:08:04

地域の土建屋さんが行政から「除染請け負いを押しつけられたの現状と推測中>>現場では例えば建設、一般の土木業者、建設業者、それから造園業者、それから先生がおっしゃるような、許可を持った処理業者、まあいろんな方々がチームを作って、作業に携わらないといけないということになっていますので

posted at 13:34:52

現場では大混乱中 コスト争いと役割分担争い中 除染業という生業が一般に無かったから>>市町村なり国がこの事業を発注いたします。その際に、きちんと歩掛を示して、やっていく必要があると思いますので、その段階において、コストについても明らかになっていくものと思っております

posted at 13:32:08

除染の定義が語られている。一応この法律は、除染等の措置というふうに言っておりまして、いわゆる、物から放射性物質を取り除くというような本来の除染のもののほかに、例えば被覆ですとか、飛散の防止ですとか、空間線量の低減 に資するような措置。こういったものも、除染等の措置

posted at 13:28:34

これから残り31頁からを読むまったりの午後>>。http://t.co/343fGx9T … …

posted at 13:24:46

@y_morigucci先生に環境回復検討会の議事録を公開いただき昨夜から読み始めた、現場で起こっている混乱がママが そこでは話合われていて 法を作ることと現場の現実について良い例となっていると思った。(30頁までしか読でないが  http://t.co/343fGx9T

posted at 13:23:41

@y_morigucci @tatsu0409 昨年の大熊の町長選では戻る3451票 渡辺現町長 戻らない木幡氏2343票 6対4だったのですが 新聞記事によると1年で戻らないが6%増えていますね。双葉町と大熊町の両極の例は善対悪で作り過ぎでうはと〜(邪推中)資料在りか感謝です 





1日 うっすらと当たり一面雪化粧 

信夫山の雪(放射能だったら こう見えるのかも) 我がやの傍の信夫山には放射能が多量に降ったことは知っているが見えない 今朝の雪を見て放射能も雪の様に見えたらさぞかし 事態は変わっていただろうにと 口を開いて眺めてしまった (被災者の哀れな日常の一コマ)

  

つぶやき編

@y_morigucci @tatsu0409 昨年10月に細野大臣が非直轄の5o以上財政支援する は自治体の猛反発に遭い 1o以上も支援で汚染対策特措法に示されたわけですが 5oでOKを判断し提示したのは環境省か?その当たりは新聞には書いてない。バトルが判る資料有るでしょうか?

posted at 23:21:26

@y_morigucci @tatsu0409 福島市の汚染廃棄物中間貯蔵予定地である 大熊町民46%は戻らない11%戻りたい。戻りたい中には高濃度汚染が心配+今後もつづく住建築の風化劣化に不安があるの11%は不明との記事をフェースブックに貼りました 昨年の記事も読み返し中です

posted at 23:14:16

メモ)福島県放射能測定マップ各種>>http://t.co/emYUBSWI

posted at 19:55:08

@y_morigucci @tatsu0409 住民サイドからこの計画案が出るのが肝要で戻すことだけを前提に策定されるまちづくり計画には違和感を覚えます。鬼頭先生も何度も確認されていましたが。阿武隈山地に311以前の生活は戻らない。1osv以下に除染するは中濃度地域を大混乱させ中

posted at 16:46:27

お知らせ感謝。311直後に想った事は疎開権・定住権・出入り権を保障したうえで被災者の補償項目詰めが肝要。避難民3割は戻らない意思有で新しい町要@tatsu0409@tatsu0409 。昨日の第27回原子力災害対策本部会議の資料3 http://t.co/2HBD874K


ネットより拾った参考 意見

放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?(1)――専門家側に責任はなかったのか?

 福島原発事故が1年半が経過しようとしている。放射線の健康影響について、この間に膨大な情報がやりとりされた。だが、未だにどこに真実があるのか、よく分からない。そう感じている人が多いだろう。今後、どれほどの健康被害がありうるのか、どのように対処すれうばよいのか、さまざまな評価や考え方があってよく分からない。大きな被害が及ぶのではないかと推測する人から、そうではなく被害は極小、あるいはほぼゼロだという人まであらゆるタイプの人がいて、錯綜し混乱している。分からないなら分からないなりの対応があってしかるべきだが、あたかも被害はほぼないとの前提で施策がなされているらしいが、なぜそうなのか。 

 専門家とされる科学者が情報発信し市民を導こうとしているのだが、その見解は大きく分かれている。政府寄りの専門家、つまりはこれまで原発推進の国際国内の機関と密接な関わりをもってきた専門家は「低線量放射線による健康への影響はない」、したがって避難や防護の措置にさほど手をかけなくてもよいという立場をとり、そうではない専門家は「健康への影響はありうる」ので避難する、除染する、食品の基準を厳しくし検査体制を強めるなどの防護策を早くとるべきだ、あるいはとるべきだったという立場をとる。

 専門家の対立する見解を前にして、比較的汚染度の高い地域の住民は、何を信じてよいのか分からず悩む。住民同士、あるいは家族の中でも受け止め方が異なるため、隠微な対立が生じてしまう。家族の崩壊の危機に直面している人たちも少なくない。福島県の広い範囲の人々の間にはやり場のない怒りや苦悩が蓄積している。その理由の大きな部分は、放射線防護をめぐる決定が政府や県により一方的になされており、異なる意見が無視されていると感じられていることによる。

 異なる見解があるなら、それをつきあわせて討議し、折り合えるとことは折り合って公共的な決定を行ってはどうか。ところが政府寄りの専門家は、狭い範囲の仲間の専門家の中でことを決して来ており、多くの公衆が開かれた討議による決定と見なしていない。福島県など放射性物質による汚染度の高い地域の人々が討議に参加するという機会ももたれていない。自分たちの懸念を述べ、対策に反映させるすべがなく、防護対策や補償をしたくない政府や県に見捨てられたと感じている住民が少なくないのだ。

 このような事態を招いたことについて、専門家、とくに政府寄りの専門家の側に責任があったと考えている人は少なくない。3.11以後、専門家(科学者・学者)が信頼を失ったという認識は広く共有されている。2012年版科学技術白書は、国民意識調査では科学者を「信頼できる」とする人が震災前の76〜85%から65%前後に大きく低下したことを紹介している。「任せておけないと考える国民が激増しているのと比べ、専門家は信頼低下を深刻に捉えていないようだ」と厳しく指摘しているという(共同通信2012年6月19日)。これは原発の安全性に関する専門家の信頼度が大いに関わっていると推測されるが、放射線の健康影響の問題も関係がなくはないだろう。

 すでに2011年10月10日の日本経済新聞は、滝順一編集委員による「科学者の信用どう取り戻す――真摯な論争で合意形成を」と題する記事を掲載し、「科学者の意見が分かれて誰を信じてよいのかわからず、途方に暮れる。そんな状態が人々の不安を助長し、科学者への不信を増殖する。いま最も深刻なのは低線量放射線の健康影響だ」と述べていた。 http://shimazono.spinavi.net/?p=255  また、『中央公論』2012年4月号は吉川弘之日本学術会議元会長、元東大総長の「科学者はフクシマから何を学んだか―地に墜ちた信頼を取り戻すために」という文章を掲載している。

 吉川氏は原発に関わる「技術開発に関わる科学者の責任の重大さ」について述べたあとで、「加えて、「放射能の人体への影響」について、「専門家」たちのさまざまな見解が飛び交ったことが、大きな混乱を招く結果になった」と論じている。「放射能に関して言えば、それがどの程度人間の体に悪影響を及ぼすのかについて人類が蓄積したデータは、十分と言えるレベルにはない。広島、長崎や、チェルノブイリの結果を、そのまま横滑りさせることはできない。「持っている範囲の情報」さえも、有効に活用されることはなかったのである」。

 また、国会事故調(「東京電力福島原子力発電所事故調査委委員会」)報告書は、福島原発事故以前の放射線リスクの伝え方について、「放射線の安全性、利用のメリットのみを教えられ、放射線利用に伴うリスクについては教えられてこなかった」とし、まずそこに信頼喪失の原因があるとしている。事故後も放射線量の情報、また放射線が健康に及ぼす影響についての情報提供が不十分だったという。そのよい例は「文科省による環境放射線のモニタリングが住民に知らされなかったこと、学校の再開に向けて年間20mSvを打ち出し、福島県の母親を中心に世の反発を浴びた」ことだ。

 そしてこう述べる。「政府は「自分たちの地域がどれほどの放射線量で、それがどれだけ健康に」影響するのか」という切実な住民の疑問にいまだに応えていない。事故後に流されている情報の内容は事故以前と変化しておらず、児童・生徒に対してもその姿勢は同様である」。これは政府に対する批判として述べられているが、政府が全面的に情報提供や対策案の作成を頼って来た専門家にも向けられてしかるべきものである。

 国会事故調の委員長は吉川弘之氏に続いて日本学術会議会長を務めた黒川清氏である。1997年から2006年にわたって日本学術会議会長を務めた日本を代表するといってもより2人の科学者(工学者と医学者)が、放射線健康影響の専門家の対応が不十分であり、多くの市民の信頼を失わざるをえないものだったことを認めているのだ。

 くどいようだが、もう一人、日本を代表する哲学者にも登場していただこう。日本学術会議哲学委員会の委員長で、本年3月まで東北大学副学長だった野家啓一氏の「実りある不一致のために」『学術の動向』(2012年5月号)という文章を参照したい。野家氏はこう述べる。「おそらく政府関係者にせよ専門科学者にせよ、念頭にあったのはパニックによる社会的混乱の防止ということであったに違いない。しかし、そこで目立ったのは、むしろエリートたちの混迷ぶりであった」。「もどかしく思ったことは、原発事故から数ヶ月に被災者が最も知りたかった放射線被曝の人体への影響について、国民目線に立ったわかりやすいメッセージと説明が、皆無とは言わないまでも少なかったことである」。

 では、当の専門家たち、とりわけ住民の怒りをかった専門家、すなわち政府側で放射線情報を提供してきた当の専門家たちはこの事態をどう認識しているのか。自分たちの側に不適切なところがあったという認識をもっているのだろうか。
 3.11後に福島県立医大副学長となった、広島大原医研所長の神谷研二氏の理解を見てみよう。同氏は2011年12月22日に報告書を提出した「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に提出した書面http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222b.pdf においてこう述べている。
 「福島原発事故後、放射線の単位や放射線情報が氾濫した。しかし、住民には、放射線データの意味や評価が十分に説明されず、専門家の意見も異なった。即ち、リスクコミュニケーションの不足が、住民の健康に対する不安を増幅した。LNTモデルによる低線量放射線のリスク推定は、その可能性の程度を確率的に推定するものである。従って、リスクを確率論的に捕らえることと、リスクの比較が重要であるが、国民はそれに慣れていない。国民もメディアも、シロかクロかの二元論でとらえる傾向があった。これを克服するためには、国民全体の放射線リテラシーが必要」。

 「十分に説明されず」という政府や専門家の側の問題がいちおう触れられているが、専門家側の問題についてはそれ以上、述べられない。そしてもっぱら国民の側のリテラシーの不足が問題なので、リテラシーを高めるべきだという結論になっている。あたかも専門家側に省みるべき点はほとんどなかったかのような論調である。

 神谷研二氏とともに福島医大の副学長に就任し、首相官邸の原子力災害専門家グループに加わり、その上福島県のリスクアドヴァイザーとして政府と福島県の放射線健康影響情報提供や防護策立案に深く関わってきた山下俊一氏の場合はどうだろうか。同氏は、同氏が拠点リーダーを務めた長崎大学グローバルCOEプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」が2012年3月に刊行した『福島原発事故――内部被ばくの真実』という書物(柴田義貞編)の「序」でこう述べている。

 「「放射能」「炉心溶融」「汚染」や「被ばく」などの言葉が現実的な恐怖を想起させ、原爆体験のみならず、9.11の 同時多発テロに似た感情や報道が錯綜しています。これは、放射能 が単に核兵器を連想させるだけではなく、放射能が内包する危険性に関する知識が正しく理解されず、日本国民全体にリスク論的立場で普段の生活を議論する力 が不足していたとも考えられます」。

 これについで山下氏は放射線健康影響について人々が適切な情報が得られずに苦しんだわけについて説明しようとしている、だが、そこには自らを含めた政府側の専門家の側に問題があったのではないか、との示唆はまったく出てこない

  「公表された情報には信頼性が低いもの、科学的根拠が薄弱なもの、無責任に恐怖や不安を煽るものなども含まれ、情報の錯綜と混乱は東電や政府への不信感とも重なり、その深刻度を増していきました。その後も情報災害の様相は改善するどころか、福島にあっては風評被害の結果いわれなき差別偏見に曝され、そのうえ現在も続く環境放射能汚染の地に暮らす住民の苦労は大きなものがあります。まさに錯綜する情報と不信感から、本事故の影響に関して暗澹たる不安と怒りが蓄積しています。」

  「情報災害」というなら、「直ちに健康に影響はありません」を繰り返した政府側専門家の情報提供は「情報災害」に寄与しなかったのだろうか。あるいは山下氏自身の「福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、なんでも福島。これは凄いですよ。もう広島、長崎は負けた。・・・何も しないのに福島有名になっちゃったぞ」「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。くよくよしている人に来ます」(『週刊現代』2011年6月18日号)といった発言はどうか。

 もっとも山下俊一氏自身は、2012年5月になって、ある弁護士の追究に対して過度の安全論の非を認めひっそりと謝罪している。日隈一雄弁護士の5月15日付けの公開質問状に対する5月31日1付けの回答においてだ。これは日隈氏のブログの6月冒頭部分に掲載されている。http://t.co/hM4lqFWF

 山下俊一氏はその書面でこう謝罪している。「私自身が現地でお話しした内容から、100mSv以下の安全性を強調しすぎたとのご批判と、そのために一部の県民の皆様に不安と不信感を与えたとするご指摘には、大変申し訳なく存じます。事故発生直後の非常事態に おける危機管理期から、その後の移行期において放射線の防護と健康リスクの説明の仕方が必ずしも円滑でなかったことは、私の未熟な点であり、謙虚に反省 し、その後、自戒の上で行動しています。」

 これは一歩前進かもしれないが、だが誰に対して謝るべきなのか。同氏の放射線リスク・コミュニケーションのどこがどのようにまちがっていたのか。今一つ明らかでない。これまで非は主に国民の側にあるかのように述べてきたとすれば、それは撤回するのかどうか。こうした事柄を明らかにしなければ、謝罪したことにはならのではないだろうか。

 このように山下氏の責任を問うのは、同氏が今なお、福島県の、また他地域の多数住民の放射線健康影響に関わる施策に関わる専門家の中心的存在であり、それに信頼感をもてない人々がきわめて多数に上るからだ

 どうしてこんな事態に陥ってしまったのか。適切な情報発信や合意形成を行うことができず、公に政府寄りの専門家側のこれまでの非を認めて、新たな合意へ向かおうとする姿勢を示すことさえできないのか。これは3.11以前の状況を見直さないととても理解できそうにない