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     2012年  11月の日記
     
 
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 11月30日   冷えだした 寒いわ〜

午後 食材の買い出しに出る かさがばる物が多くて運ぶにこまるも なんとかなる 家人快調で よく話している



★ フェースブックに書いたこと

庭の除染をしなだめる

★うつらうるらとよく寝るので夢を見る老人である俺は夢の中身を考える。今朝の夢告知によると、心が不安定とのこと「ふくしま会議」に参加して猿知恵がついてしまい 我が家の汚染スポットや除染方法を知ってしまってもまだ何もしてない俺。そこで我が家の除染をせよ!と夢が告げたのだと解釈し庭の落ち葉を丹念に集めゴミ袋に封印した。高い所から除染しないと意味なんだけどなー。夢ではRCの屋根が崩れていたので「屋根の除染せよ!」の自分への指示の夢だったが。屋根は 寒いし高いし、...
危ないので、横ずれて「庭掃除」とトホホのおじいさんであった。

 除染してもその汚染廃棄物と言われる我が家の庭のゴミは焼却場へ行き汚染灰となりストックされやがては 中間貯蔵施設へだろう。ゴミの焼却灰の行き先は知らないが、我が家の庭の仮仮置き場の汚染物資は大熊町への貯蔵施設に行くことになっている(鈴木達治カさんが公開した環境省の原子力委員会への文字起こしで知ったhttp://www.hanadataz.jp/f/zyosen/03/03.html>) 大熊町には我が家の庭(福島市全域)を除染したら、てんこ盛りの汚染物資を運びこむ貯蔵施設が作られるんだ。福島市民も被災者にして汚染物質を大熊町に投げ入れる政治的な加害者であるか?!の様な苦々しい立場に追い込まれてしまうのだ む〜 無能な政治家や地域の意図も斟酌できないあほ官僚どもの顔を踏んづけても何も好転せず、やれやれだ。ここはぐーっと耐え考えね協働せねば成らない。

上意下達の手法を使いまくる輩は 合意形成を推進するかのように振る舞いをするが 実は 地域内部の分断を狙いすまし、仲間割れ、内部分解を狙って その隙に乗し 20世紀的パターナリズムって奴で押し切るって腹だと私は推測している。それでなかったら行政や官の人手不足と民の知恵のなさが そのような状況を作ってしまう考える。地方民は痴呆のごとき様的なり。

行政への依存が長すぎ 民意や民の考える力がへたへたな状況を作り 巧いこと利益配分し痴呆地域のアホどもをまとめ(銭ばらまき)運営経営した自民党とそれを支えた阿武隈山地の人人を恨むしかないのだろうか? と尽きることの無い 除染の闇を落ち葉の葉の中に覗き込んでしまのであった やれやれ日増しに寒くなってくる季節に除染のあれこれを考げえるのは 辛い事態であるよ




 11月29日  

台所のガス台を新調することにした。29年ほど使い続けていた 鋳物製のガスバーナーが焼き切れて 穴が開いているのを騙しながらつかっていたのだが 危険なので交換することにした。 厨房機器メーカーの方と打ち合わせし注文。ガスオーブンはほとんど使うことがないので シンプルにガス台だけ。設置まで製造納品時間が 2週間ほど掛かりそう。

■昨夜の事  藤村龍至さんと短時間ワイワイ

★ 南相馬の市議を通じ 建築家として「縮退社会をどのようにデザインするか?」を考えたいのでという主旨に賛同し 藤村さんが来県しました。電話があったのでついでに藤村さんの被災地での活動の考え方や、東浩紀さんとの福一原発事故跡地の観光地化計画にどうか関わるの?を質問をして 2時間ほど うぃわいしました。
 話題の内容については「被災地に入る若者シリーズ」にて文字起こしし公開しますので 書き記しません。常日頃から継続的かつ広域で学問の領域を越えた 交通交流が肝要だということです。 コミット無い地域の問題を解決するための被災後努力をしても無駄と迷惑がが多すぎます。 控えたいと思いました 。あまり発展的な記述になってないんだけど 文字起こし公開内容は好いですよと記しておこう

■と昨夜FBに書いたが 鶴ヶ島の藤村さんプロジェクトと被災地では活動は分けて記録した方が 誤解生むことが無いと考え 記録をつくることを断念した


 11月28日  2,3日冬型の気圧配置がつづき寒さ増す 吾妻山周辺は雪化粧を広めている 昨日は落ち葉あつめしたくらいし覚えおらず(笑)

何も出来ずうろちょろ 「俺なにしてんの?」っていう感じで今週はまとまりのない 時間を過ごすこと多し

選挙前にめまぐるしく変わりつづける第三極の動向>>未来の党ができたニュース、三極がこれならわかり易いね>>

原子力福一事故の最終の廃炉って何?
★県図書館に入って 廃炉本を見つけた。1993年に発刊された『原子炉解体ー安全な退役のために』著者石川迪夫 
 表紙裏に・・つい数年前までは廃炉を計画的におこなった事例がなかったので「技術の発達した今日、跡地がゴーストタウンになることはないでしょう」と答えるのが技術者として言える精一杯の限度であった。だが今は違う「放射能を除去して、跡地を再利用することが出来ます」と言い切れるとある
★原子炉の廃炉ではないが まき散らされた放射能によって 福島県内の自治体はなすすべも無く除染対応に追われ 原子炉の跡地再利など夢の又夢である。生まれ育った我が大地 廃炉以前のオフサイトの再生の路すら 見えない状況だ 廃炉とは一体何かを勉強してみよう



鱈の切り落とし198円
★生鱈の端を喰うのが働かない老人の務めだろうと思う。今朝から腹が空かずだったが 午後3時になりようやく空いてきたのでスーパーで御それを買い「鱈蕎麦」にして喰らう。吾妻小富士周りは数日前の冬型気圧配置で白さが目立ち 気温も下がり手袋無しでは自転車はこげない。
★フクシマ問題には触らず離れ 津波被災地のまちづくりや古建築修繕や調査に関わって来た 1年8ヶ月ほどだったが 震災直後に依頼されていた建築の設計も済み(なんたる鈍足!)残すはフクシマ問題に足を踏み入...
れることだけだ(勘違いしてるんだが・笑) 思い込み 10、11日の「ふくしま会議」に参加しフクシマ問題の多様性を調べたり そこで知り合った人人とSNSなどを通じ 多様な考えを教えていただいている最中

★今夜は十年来の知り合いで 若者の間ではとても人気のある東洋大学の藤村龍至先生がフクシマ問題と関わりはじめたので あの当たりでワイワイしているとの電話有り (東さんたちとの事故跡地観光地化計画ワイワイと異なる件) 帰り道の福島駅あたりで呑み情報交換し 今後のおれたち問題のロードマップなどを話合う予定だ
 (藤村さんと仲間のLRAJのメンバーは大震災直後、我が家に多数の支援物資と義援金を持ってきてくれた 多くの方の一組であるのでmy支援者でもある 報告にも3度上京している)



  11月26日 あめなどあり 過ごし難し

夜 6時半から9時まで 川俣町長による「原子力災害に関する取り組み」報告を聞く

★古川町長によって災害時の様子から現在町が取り組んでいる除染工事などの報告が昨夜6時半から9時まで行われた。主催者は福島大学の先生たちのようである。およそ30人ほどの参加で前半1時間ほどは町長の講演、後半は質疑応答の時間割。
人数が少ないので除染に対する町民の考え方や、災害時の情報のありかた、を詳細に聞くことが出来た俺にとっては大変よい機会となった。
 川俣町は国道349号(水戸〜柴田)と114号(福島〜浪江))主要地...
方道が南北東西にはしり結節点になっている場所であることによって飯舘や双葉なとの避難民を一時受け入れたり長期受け入れていた。その上 主に山木屋地区が計画的避難地域(直轄)となり町民の一部が町外と町内へ避難することになり、受け入れと送り出しと 戻りくる住民の対応におわれていた。原子力災害によって人口15、000人の町が翻弄されたこの1年半を聞くことができた。

除染に対する考え方も机上の空論ではなく具体的な事例を持って語られ問題点が何かを明らかにできた講演会であった(尚近畿大の原子力研究所が支援しているとのこと)細かい気づきについては 時間を見つけて 記録しておきたい

 ごごエバンゲリヲンQを観る 60才越えたのでいつでも1000円で 3度観るとサービス券があるので 750円で映画をみることができる のは以前はサービスタイムに観てたので同じ金額だが いつでも千円は映画を観やすくしているので嬉しい
感想をFBに書いたので貼っておこう

エバンゲリヲンQを観ました お姉ちゃん活躍する〜映画じゃなかった
★東電原発事故によって被災民と東電から認定された俺が観た感想です
 エバの世界の人人も「何と闘っているの?」か不明なんで 現在的です。序もそうだったので。
 Qが描いた背景映像は納得できる 同時に違和感もあった。違和感の因は悲劇が起きても目の前の風景は311以前と何も変わらっていない中で 放射線や放射能物質がしたいを突け抜けたり身体内部から放射線が発せられていることで思考する身体が崩壊していくのでは?という科学...
的根拠無き恐怖と生き続けていると自覚してるからだ

映画のような背景や都市や自然や地球が崩壊する 絵柄みて判るような20世紀的な楽天的な崩壊とは違う中で暮らしている。そのうえ まだ観ぬ未来の者たちがその崩壊感を抱え続け 「幾世代もその恐怖を負うしかない事実がある」と想像することで根拠無き恐怖は幾重にも困難を被災民に強いている。

映画の中でも「逃げるが価値」であると語られていたが 禅問答のような語りと戦闘シーンによって壊れ続けている背景とが分断し進行しているように見え(感じてしまう)映画を二重に楽しんでいるようで面白かった

アグネスチャンの草原の輝き一人じゃなってすてきなことねー・・」を歌い聞きながらエバを操縦するアカネのイントロと 観念のシンジ君=カヲルが自死していく筋立てのエンドは響き合って深みを増す効果を映画に与えていた。 シンジの観念であるカヲルを登場させることで 「序」のような家族憎悪の物語を脱することが出来ていたと思いました。カヲル〜シンジ〜ケンドウと連なる(父が作った筋たちであるが)男達の主体的自己言及が入れ子構造になっていて、物語の中で生きる意味希望を探し続けようとする 自己自身を解明していく手法は面白かったです。

(もてない男どもの呟きで男臭くって鬱陶しいとも言えるけどね(笑いど なかなか語りが面白かったです



 11月24日  吹く風急に寒くなってきている
庭の落ち 葉欅は最後までおちないのか〜 銀杏の3割ぐいら落ちた ぎんなんは最後におちそう

県立図書館に行き パブコメの文字化されたものや 県内の市町村の便りをみて 今後のフクシマ問題との関わりかたを勉強中 

勉強に双葉町の中間貯蔵施設は建設は難しいのではない。
■中間除像施設についてのメモ
■または超速の科学技術を開発して 害無き物に換えるぐらいか ips細胞で 放射能による癌の心配を無くしてしまう薬や医学をつくってしまうとか それぐらいかもなー 
■誰も決められないのだから 日本の象徴として誰でもが観ることができる日本の中心 =最終処分場は天皇が京都御所にお戻りいただき 皇居跡地がよいのではないか?
■最終処分場の選定について政府は着手してないとのこと>>「最終処分場の整備場所の選定」には着手していない>>http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b180025.htm
■受け入れ先ないだろう!が 30年後の最終処分地については>>福島の住民が既に過重な負担を負っていること等を踏まえ、総合的に判断した結果、基本的考え方においては、「中間貯蔵開始後三十年以内に、福島県外で最終処分を完了する>





 11月23 日  小雨あり

 この10日ほど ふくしま会議に参加したので フクシマ問題の現状を知るために好い事例だ会議の内容を端緒とし広い領域の人人の考えを知ることができるので 気合いを入れて文字起こしした。

脱原発問題と 放射線公害を一緒に語ると現在あるフクシマ問題の解決糸口は見つけにくくなるので注意した。また原発事故が無くっても東北各地の地域は レーガン・サッチャー・中曽根・小泉改革へと続く 市場原理主義の嵐をうけつづけた、その中で地方の生業の根幹は疲弊し閉塞感で満ちていたわけで 原発事故によって閉塞感が生まれたわけではない。そう考えているので 除染によっ復興されるとは思っていないのだが 市政便りの見出しや県紙の編集姿勢を観ると 原発事故のせいにし 続けている感がいなめない。

阿武隈山地で生を受け 永年あの地が縮減していく様子を遠目で見ていたので、原発事故によって縮減は加速され 誰の目にも気の毒に見え易くなった、状況は政治が作り出した現実なので 皆に知っていただくことは日本の今後の政治の在り方を考えるうえでは 縮減がいかに地方の人人を悩ませ苦しめるのかをしるための 実例だとだ思う。 色々あるが 今日は web頁を仕上げるための作業をしよう。


 19日〜のこと。

18と19日my長男と連泊し ワイワイの合間を見てはのんびり文字起こし。音声用pc持参していなかったので 起こす時間が2倍くらい手間取る。20日午前中は 仙台北山にあるmy長女の家で 文字起こし。午後福島に戻り 残りの文字起こし。

21日22日は雑事をしたり、久しぶりの食材買い物を家人に言いつけられ買い出しにいく 。多量の食材重たし。 家人も話しをするようになり やや平安に向かっている様子。一喜一憂している場合いではないことは以前に同じ。

合間に ふくしま会議の「復興の中の除染を問い直す」をユースト聞きながら文字起こしをしつつweb頁もつくりつつ 22日は合間をみて 再度聞き直し 夜10ごろかな・・・全てをweb公開した一区切りついた。 11月現在の



 11月18日 福島雨 仙台午後 快 

 氷雨のような雨の降りしきる福島を出て my長女の仙台ハウスに向かう 仙台は快晴 やや風つよし 

医学博士論文が済み学位が授与されて2ヶ月経ったのだが 何かと時間が合わず今日までお祝い出来ずにいた my長男も来て ジョニーウォーカーブルーラベルという人生初の酒を呑む 美味いし香りよく 体の細胞全体に染み渡り効くね 日本酒では鑑評会に出品される 希な酒を縁あって かなり呑んだが 天然がつくりだす本物のアルコールは 悪酔いしないことが分かる

利潤を追求し醸造用アルコールを使い 酒の質を落とすか 持続可能な美味い酒をつくりつづけるのか 酒蔵の矜持を思い知らされる 気分 消費者の文化との兼ね合いだろうが 好い酒を少し呑んで良い気持ちになるのか 安酒を多量に呑んで酩酊するか 作り手と消費者の関係なのだろうが そろそろ 日本も成熟し好い酒を少し呑む社会になったほうがよいのだろうと しみじみ味わう

今年の冬の過ごし方や正月のあれこれをワイワイし解散 
■俺は仙台に残り 文字起こしを少しして 寝る 



  11月17日  時々時雨 来る 

 家人やや落ち着きを取り戻したよう 穏やかにくらしている

■庭の桜はほぼ葉を落とし 柿の木もまじか 銀杏はこれから本格的にちりそう  除染部会の文字起こしを始める

■ よる風が強すぎ ばたばた周囲が五月蠅くって安眠ややそがれる


 11月16日  日に日に冷えてくるけど 風もなく穏やか でも暖房なしでは 机に座って作業を続けるのは困難だ これから来年の3月までは寒い季節がつづくのだ 

■ 昨日から続けていた福島環境再生事務所除染についての現在を50回原子力委員会会議を文字に起こした 内容をweb頁に仕上げ 公開した データがフェースブックから落ちてきて 3日と掛かった 沢山の反応をツイッターとfbにあった 

 再生事務所の姿勢や現在の困難がぼんやりと分かった  中間貯蔵施設はまだまだ出来ないなーと思った 仮仮置き場で30年しのいじゃうってここともあるかもしれないとぼんやり思う そのような困難とは裏腹に400億の発注があったので 福島市内は除染バブルがふくらみだした〜 荒れ模様 。

■ 今日N0 民報記事よんでやや あきれる 俺のはやとりちにもあきれる のでFBにコメントかきまくる〜

以下myFBカキコ


この記事 でたらめじゃな〜!
★ 昨日文字起こしした「除染」勉強しそのデータを元に読むと 東電は除染計画を策定したり実施する主体ではない 非直轄地域のワイワイ仲間として認定されても居ないし 要請している自治体もないだろう。 さも除染の権限を移す〜このよな アホなことを記事に 書いている民報の記者は 脳みそ無しただなやー

★東電副社長は 行動で福島に尽くすって言うが =銭で賠償するってことで= これは銭税金でまかなうてことじゃないか あほが  福島民報 数日後に東電の広告 載せる気配だなや


福島県紙がアホだから 福島県民はアホになる ジャーナリズムの基本を鍛え直せ 民報社諸君!! やれやれ
素マン これは共同通信の配信記事だった 鵜呑みに載せる民報社あほだなや〜共同出資してるんで 共同の記事はスールーパス 手抜きもはなはだしいよ


 東電と福島環境再生事務所が 実は同じ根っ子で一体であるならば この発言も なるほど 加害者と救済者が同じってことになるので 被災民としてはこころして今後対応するしかほうがない。 そんなことを思わせる記事である



 11月14日  この時期特有の重たい雲 た空を覆っている 

家人今日は昨日とがらりと様子が変わり よいかんじ 日々そして刻々と変わるので一喜一憂しないことにしている 

■昨日国会図書館からmy動画を寄贈してほしいとのメール有り承諾する 著作権云々とあるが 被災地を撮るには覚悟してとっているので 過剰な心配しすぎだと思うが メールでその旨を返信しておいた どうなるか判らない


■フェースブックのタイムラインから今朝見た夢とにたような内容のアニメがおちてきたので コメントを書き込んでおいた

 今朝似たような夢を見た。障子や床の間がある和室のなかでの老人との折り紙対話ではなく、my夢の場は映画館で、相手は水処理をする社長とクラブのママが相手だった。 上映されている映画を見ろ!と薦めるのだが 上映された演目が気に入らず。「こやつら、俺をはめようとしているな〜」と気に入らず。 悪は社長と考えていたが 実はママが黒幕と知ったとたん映画館を飛び立つ俺。幾重にも折り



重なる金属質の奇っ怪な都市空間を逃げ抜けると 茫漠とした青空の後ろから多様な輩が追いかけて来た。行き着いた果ては民家の屋根瓦の上だった。民家の表札に鹿児島県川内と書いてある。夢から覚めても表札の記述と動画の筋書きは記憶は残っている

 エンドレスで自分と悔悟する提示された動画の内容と、放り出されたまま 南国の見知らぬ民家の屋上に至り 狼狽え呆然として覚める現実を対比するおもしろさを この動画で味わうことができた

 
■原子力委員会の委員長代理の鈴木達治カさん(大のトラキチとのこと)と「ふくしま会議」で知り合いになりFBをとおして色々な情報が落ちてくるようになる 鈴木さんは個人の参加との断りがあるんだけど 会議ではやはり内閣府の人間として発言されているのであったが対立せず 連携し セシウム都市福島の現在の困難を解決しつづけていかなければならいと思う 激深刻な避難民の人人とことなる立場にある セシウム被災民であるけれど 他者との対話の場をつくることは肝要でもあるし困難でもある


 11月12日 のち曇 時雨おおし

家人の心はこの処の荒れ模様天気に合わせるように変化しつづけている 薬を飲めば安定するとは思うんだが 病識をもってないので対応のしようがない。専門家に相談しようかな〜迷うばかりでただ時間が過ぎていくばかりだ 

■本間英一さんの門脇ミニコミニュース更新する 文字がワードなのであんがい時間を要してしまう HP更新作業(更新したweb頁) 


■ 0日と11日は福島大学で開催された 「ふくしま会議」に参加し大勢の人に出会い ワイワイすることとなり、多くの知見を得た セシウム問題は何かが大局的に語られている 今後の活動に役立つように思ったりしている 年に一度継続開催されていくようだ 事務局やスタッフの方々ご苦労様である 

夕方から動画編集しよう


 (ふくしま会議サイトへ

 NHKニュースでも俺が映し出されているニュースも流れている 記念に絵をぺったん(笑)

 

■ 夜動画公開した〜http://youtu.be/THHhiTt8cLY
 映っている人からやや心配とのメールがあり 非公開とした。ジャーナリストではないのでさっさと言うことは聞くことにしている。記録は残っているのでよい 表現者として動画を作って公開しているわけではないからだ

 11月09日  晴れたりするも時雨の季節 雨は時々降る仙台市内 

7時の起き 飯をつくり喰らい my長男とダベル 9時半 my長男の家を出て 仙石線に乗り 病院に行く 予約はしてあるが 週末でなのか!?今日は空いていて 45分ほどで終わる 経過は順調との事 次回定期検診は2月初旬を予約 鼻に噴霧する薬はサボって減ってないので半分にしてもらう 1本700円の薬なのだが 6本も余ってしまっている 

■午後2時 仕事場に戻り この1週間のデーダーを整理しつつ 今月から以前のように日記も書き出す 2月サボったことやFBをその間使ってしまい 楽楽なので 日記の足を引っ張っている 

■ アイホン3月目なんだけど初めて ツイッター投稿できた 。移動途中にツイッター投稿し暇つぶしができるようになった(笑)pcでだけweb系を使っていたけれど 旧ケイタイを電車に落としたことを切っ掛けにアイホンを買ってしまう。 アイホンは文字が小さくって タッチパネルなので 操作に慣れない。少しずつ慣れているので 手放せないようになるかもしれない 


■県滋賀大ワイワイごの プチ聞き取り 公開したweb頁の感想や反応が届く 以下コピペ 
イワイweb頁読まして頂きました。 ワイワイweb頁を読んだ、大工見習いの先輩から激励メールがくるなど、11月3日の反響はまだ鳴り止みません。本当にありがとうございました。のんぶるる頑張ります

動画やフェースブックを見たり読んだりしていると 多くの人が「俺クチャー」の事態を喜んでいることが判る。これからも、お金をほどほど稼ぎ 余った時間は色々な人に役立つようなmy老後の暮らし方をていきたいものだと思った




 11月08日 やや強い時雨がきて方々に虹が出る  午後大きな虹がセシウム都市の北 飯坂温泉の方向にでたので屋上に上り 撮る
 

 明日副鼻腔の手術後定期検査があるので 夕方仙台へ行く。 駅そばの朝市ビル2階の阿部正さんの事務所により30ちょいワイワイ。

 そばのスーパーで鍋よう食材を買い求め my長男の家に行く。 8時すぎ簡単に調理して長男と共に食べる。 多少の情報交換をする 国会図書館でmy動画データを求めているとのこと 直接メールで連絡をもらうよう たのむ  11時半頃寝る 



  11月07日 曇たり 

 午前 午後 3日に県滋賀大生を布野ゼミ室で聞き取った web頁を仕上げ続ける 夕方公開できた 。これで県滋賀大生のお招きでワイワイはけじめを付けることができ ホットした 。やりっ放しにするほど忙しい人生にはしたくないね、という振る舞いは食い過ぎを押さえると同様の老人の技かもしれない。公開したweb頁をはって置こう

★ 昨日公開した 俺クチャー動画も 80人以上見ているようで 楽しんでいただいているようだ

講師が話しをしながら、その場の記録をつくるために動画や写真を撮り続けるという

 二頭追うもの二頭を仕留める
仕業もなんどかこなせた

■京都の喜美子さん 綾部移住を決めたとの呟きあり 

従来の移住と異なる気に入った地域を移動しながら 多くの大人や子どもに出会い そこで暮らし方作り続け 
20世紀的家族の理想を生きる人人からは怪訝な顔をされる人間関係だと思うけど 21世紀にあるべき個としての星座型居住を体現していただきたと思うのであった。

表向きは 夫難民とか 妻難民と語り 笑いながら 泣きながら 移動し続ける 新しくもないんだけど そういう暮らし方を追求していきましょう。

■ 呟きで喜美子さんに>>綾部行きおめでとう〜。あなた夫難民、私妻難民(笑)私の弟子だ(笑)星座型居住実践者が一人増た。21世紀型(家族)人学会を作り綾部ワイワイしよ〜。と書く

■我が家のカーテンを洗い 吊しなおす


 11月06日 

県滋賀大で聞き取った学生さんの文字起こしをし続ける1日 。後1頁ほど粗し仕上げして見る 



 11月05日  



 11月04日   晴れたり曇ったり

 山崎泰寛さん 井口夏実さんの家で目が覚め 夏実さんにパジャマをお借りし一番したの本が沢山ある部屋ぐっすり寝かしてもらった pc回線が使えたのでメールなど確認したり 木造建築なので家族の人たちが活動し出すと賑わいが音と成り様子がわかるのは あんがいいい。RCの住宅や平屋を設計していたので木造の人の有働音はよかった

朝食のホットケーキを夏実さんに焼いていただき 悩みのようなものを聞きながら「それでいいのだ〜」のたよりのない太鼓判を押し 山崎さんは洗濯係なので洗濯ちゅう だったが「さよなら」を言い 10時半には家に戻っているという岡田栄造先生の家に行き先生とひさしぶりにワイワイ 元気そうでなにより お母さんともたびたび交流して 栄造ちちを語るmyweb記録が家族の団らんに役立っているとのこと やや役にったったよ俺 (笑) 

昼食をいただき 出町柳に出て 京阪で大阪の中之島公園駅に行く。大阪中央郵便局重要文化財指定義務付訴訟 に関する報告会 に参加する 建築は誰の者か問題を公共建築を通して語られていて 311以降被災土蔵蔵を多数見てあるいていた俺はとても参考になった 

弁護士会でも建築を文化財として保存する分科会のようなものがあり ワイワイしていると知り 他分野の人たちもそのようなこと(=建築スフィアー)を語っているとしり おおいに未来に可能性を感じた。

山崎泰寛さんも来ていたので 帰り道 淀屋橋でお茶をのんで別れる 前田茂樹さんもパネラーとして登壇していた 世界各地から寄付を集め バングラテッシュで建築を作っている模様

■ 確保していた宿にいき数日間のデータ整理をする 家に戻ってから行うと何日もかかってしまい 日を隔てるほとに 記憶がなくなっていくので データは急いで整理せよが鉄則だ 夜淀屋橋あたりの飯屋を探すも日曜日なのでほとんど開いてない 開店している店は徹底的に合理化されて 広い客席に一人一人 餌を与えたれている動物の様に賑わいが無い 新自由主義の都市風景は 殺風景である 安ければいいってもんではない 知らない都市体験をしている気分が沸かず 

もどり データ整理中 大阪真由美ちゃんから呟きを見ているようで 電話が突然はいり ワイワイする 心が疲れているので 睡眠時間がほとんどとってないとのこと 顔の表情は老化が激しいく 精神の疲れというものは 人の表情まで奪ってしまうようだ 2時間ほどで別れ 寝る



 11月03日   彦根は曇

井上遼介さんがシェアしている木造2階建ての2階に20人ぐらい集まってワイワイしていたが今日おきてみると 俺の他に3名だった みな学校の近くに住んでいるようで真夜中に帰ったようだ

人気の洋食屋さんでお昼のハンバーグを食べ、県滋賀大へ 荒技を使って入る者もおり笑ってしまった。ゼミ室で 山田香波さん、西村眸さん、梅谷敬三さん 山田大輝さんをプチインタビューする 偶然集まってて付き合える人なので人選は特に 強いて言えば暇な県滋賀大生ということ 布野先生も途中顔を出していた。また呑みに行くそうだ。4人ともしっかり学生生活を送っていて 身の丈に合った考え方を持ち暮らしていることがわかった。みなさん将来が楽しみである

1時間ほど聞き取り 井上遼介さんに彦根駅まで送っていただく。南彦根駅の方が近いのだそうだが快速が止まらないとのことで親切に彦根駅までおくってもらう

■電車で1時間ほど京都に向かうと 山科駅で降り地下鉄東西線に乗り 蹴上駅で降りタクシーで800円錦林車庫までいき 岡田栄造先生の家に行く。 模様替えしてて 入り口は台所側になっていた 岡田先生は不在で 喜美子さんとワイワイする。 夕飯の山崎さん家族と食べようということになり その間3人の子ども達と 近所のスーパーに買い物へ行く 

 山崎さん 井口夏実さんと合流し ビールと焼酎でワイワイ 京都の人人も色々変化があり 驚く。 

■夕食を済ませ ひとしきり子ども達が遊んでのち 山崎さん、井口さんの家に止めていただく 京都の人人も俺のように星座型居住の実践を各自模索しているかのようで 興味深かった。 真夜中 満田衛資さんが遊びに来て情報交換をする 相変わらず社会に対して熱い姿勢は好感がもてる 忙しそうだが色々展開中とのこと 半年後が楽しみである 

真夜中寝る 



 11月02日    

9時47分に福島駅から新幹線に乗り 東京 24分 48分ひかりに乗り米原を目指す。名古屋あたりかた曇天に成り 関ヶ原をすぎると落ちてきそうな雲模様 
2時過ぎに彦根駅につく  

■彦根駅で名物のバルブ最中 と小鮎を買い大学生へのお土産とする。 彦根駅から彦根城へ向かい歩く 明治維新時に建てられた護国寺を過ぎ 井伊直弼の歌碑を眺める 。彦根城の石垣から大勢の女学生が出てくる 東高校の女子とのこと。  彦根城博物館に寄り 見学する 城下町の絵図と現在の地図を重ねるジオラマがあったので 町割りを確認する 上から見ると 魚のような形をした湖東にあるプチ 山城でなかなかいい感じ 湿地帯が多かったろうから 町を作るのは苦労したかもしれない 。地盤の悪い場所には運動場や野球場が建てられたことが判る 湖と小山を活用した居城であった。

■県滋賀大生から 電話が入り 迎えに来るとのこと しばらくすると彦根城内に3人の女性が迎えに来ていた 

   

。後で判ったことだが俺クチャーの総合司会の井上悠紀さん写真を撮っていた 高野由記さん 東京の工務店につとめるという櫻井藍さんの三人 。佐和山へ行き井伊直弼の供養塔を参拝する。暗殺された井伊直弼が身につけたものを樽に詰め埋めたと記述があった お墓は東京の豪徳寺にあるとのこと。 供養塔のあるお寺の下には幼稚園があって 教室が賑わっていて 佐和山と相まってなかなか いい環境であった。

途中名物のラーメンを4人で2杯たのみ分けて食べるながらワイワイ情報交換する 琵琶湖の船着き場につれていってもらう 誰もいず 琵琶湖から吹く強いかでの中で遊覧船と客待ちのタクシーがしょざいなげにあるだけだった 
 
■県滋賀大へ 3階に布野研 布野先生にご挨拶し 俺クチャー用の教室へ行き pcなどを使い投光できるか調整する 6時ちょい前 調整が終わったので my動画を流し始める 布野先生が早々とビールを持参して来たのでマンボウ解体のmy動画を上映する 3回も続けて上映するほどの大受けであった (ユーチューブでも300回以上ビューがある)   

6時半 講演開始 ワイワイドタバタ ワイワイと 1時間半の俺クチャー 8時からDANNWASITUへ移動し お酒を飲みながら とはいえもう既に呑んでいるんだけれど 10時門限までワイワイしつづける 笑え声が絶えない 談話室の様子であった 二次会は 居酒屋さんへ行き ワイワイ真夜中 井上遼介さんの家に20人ほどで押しかけ ワイワイ  泊まる 寝たのが何時だったか覚えてないけれど 2〜3時ぐらいだろう。

  当日の様子5分ほどの動画にしました

 


 11月01日  放射冷却すすみ秋深まる

 東北本線沿線の雑草も日に日に秋の装いとなり。外来種のセイダカアワダチソウも 花粉をたくわえ たわわ 野も地のセシウムの外来種がとめどなく広まる
 

明日県滋賀大学で俺クチャー予定なので 留守の間にする雑用を済ませる。

午後 「一家」の電気工事屋さんとワイワイし 請負形式は支払い方法 今後の値上がりの予測を相談しあう。 

雑談で除染あれこれや 太陽光発電の県内での動きなどダベル。


学生のみなさんに我が家の今日の様子を伝えたいので家の庭など景色動画を簡単につくりユーチューブにアップする


   

■ 今日から以前の日記に戻して しこしこmy記録をつくることにする