home           佐藤敏宏
     2012年  09月の日記
     
 
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 9月19日  のち曇 

■ 毎日 実施設計をしつづけている 

■ webのmy日記になにを書こうが 表現の自由を侵さないと思うのだが 難癖つけて来る人が多くなったので 日記はフェースブックに一時避難しました(紙媒体とweb媒体の差異をしらないで語る人多し やれやれ)   311以降のmy記録は fb クラウドコンピュータ 入りにしました  


  9が月 16日  『チルチンびと』の編集者の中村謙太郎さんと午後から付き合いとり続けた 画像データをそのままならべ 京都在住の岡田耕平さんの作曲演奏をはりました  最近文章を書くののののが面倒なので 画像出た-で今日NO1日をお伝え出来れば嬉しいんですが へユー アユー アンダースタンド

 


 2012/09/15   暑い日が続きます

 セシウム一家 (一家)の模型が出来たので 今日撮った写真の順に並べ 京都在住の 岡田耕平さん作演奏の音楽をつける ユーチューブにアップした 

明日は 雑誌社の取材を受けるので記者の方と1日中おつきあいする予定
(セシウム光線 強い高い場所に行くとのこと)

  
   



 2012/09/14  カンカン照る 仕事場32℃

 毎日 冬だけ使う家の模型を制作しつづける 今日は食堂に灯りをともしてみた。明日は外構 セシウム仮仮置き場もつくるし 物干し場もつくるので、明日の1日では終わりそうもない
 


 2012/09/12 まだ暑い

 911より11年かもしれない あの日 近代建築がジェット機によって崩落した日を忘れひたすら模型をつくる 模型の制作過程を動画にしてみる 久しぶりに エア建築家から 時々建築家に戻ったが 相変わらず模型はヘタである 実建築は請負師に任せという関係になるだろうか 俺が作ると下手くそなので プロに施行は任せたい

 
  12年ぶりなのでキャドの使い方忘れたので プランは横 「一家」(いちいえ)とよぶことにした 製図用キャド使えない老人なのです単純なプランにしました 相変わらず大流行の(表層的ミニま夢フォーブィズムに回収されるのはまっぴら御免なので 内部には神も仏もなくなった311以降のセシウム都市内の状況ですが 鳥居型の壁を整然と配置し 物語をねつ造しました 真の意図は 完成したらどこかに書くことがあるかもしれません

 今はおしえるこてゃ〜ありません セシウム都市フグシマ に建築をつくることは 日々 敗北を食べながら感情の機微を育て活かし 建築をつくる マイナスな機会の豊かも実は与えられている! ということは嘘です


 2012/09/10  連日暑いひが続く でもカンカン暑くないのでしのげる

■関西の山崎さんから『建築雑誌』9月号のmy記事を読んでなぜだか分かりませんが、感動しましたとメールがあった。建築学会の原稿依頼していただいた方も同様の内容のメールと電話があった。 文章を書いてお金を稼いでいる人間ではないが、依頼人や他者の読者がそう受け止めのだから、望外の評だ。批判されることが多い文章にしようと書いているので、好かれる事は望外なので返信が難しい。無関心と賛と否が三論ある・湧くのがよい・文章の常だね

数日 my建築設計の前段のための模型作りをし続けている。厚紙ケントボードをカッターで切りまくっているので腕の筋肉が硬直して指と手が痙攣するので、糞じじいの俺が模型作りを継続するのは8時間止まりである 若い時分いは3日間連夜徹夜でも 痙攣は無かったが 年老いてしまったと 実感する のんびり模型を作ればいいだけなので 老体と付き合いながらの模型づくりなので 時間が掛かってしまのは仕方がない

鮪立の自治会長から電話があり「自分たちで出来るようになったので顧問に来ていただかなくってもよくなりました」と連絡がある。1年5ヶ月かかってようやく地域の人人が自力で復興工事などのワイワイを行っていくと役員会で決めたそうだ。 おめでとうございました 鮪立万歳! 深遠なる地域の事態はよそ者には分からないので地域の人々にバトンタッチしました  地域の人人の要望が実現されることをセシウム都市福島市から祈念することにする 。お呼びが掛かればまたおじゃまします よろしく

冬だけ暮らせればいいとの設計頼みますとの家の設計ようやく稼働する。頼された「冬の家」ぷランは「一」単純だけど豊かな建築体験が出来よう作りたい 厚紙切って 模型をつくり 家具なども入れて 少しずつ形になってきた。プ 久しぶりの時々建築家の仕事をする

 

 2012・09・06     時々雨

 感のよい人は俺が銭切れであることを知っているので 京都工芸繊維大学の岡田栄造先生の義援金振り込みにつづき、金沢の建築家+造園家である「橋本浩司さん」から現金書留にて活動資金が送られてくる 皆様! ありがとうございます。 橋本さん夫妻には311直後から石卷や陸前高田の古建築の技術支援+活動資金をいただくことになった my新聞 印刷費足が出まくっているので 赤字補填を そこに当てたいと思います
  
誰にも依頼されない自由な活動を続けるには どの領域にも所属しない俺への他者からの 資金提供が必要なのだ。でそのことが311以降ずーっと起きつづいていることは凄いと思う。
 俺=個人めがけてなんですが、凄いことが起きているのですね。もしかすると「寄付だけで多様な活動がまかなえるかもしれない、俺は中世代の坊主の様みたいになるかもしれない! という凄いこと。 新しい仕事と人のあり方が生まれるかも知れません。

 (使い道自由とは伝え来るも、飲み代でもokなのだが)資金の送り主は、建築あそびで知り合った人々や、その方の周りの方々だ。主に俺がインタビューしwebに記録をあげた人々がその地域の他者に呼びかけ集めている。my活動の「ことば悦覧」における取材対象者が主だったが家族や親戚や80代のおばあちゃんまで(多額だった)と年齢層も幅広い

  my活動に弾みが付いて〜1年5ヶ月経ったら、新聞まで発行してしまった(笑)。もう活動資金は尽きたので 、借金が増えてきたので、ここらで止め〜。時々建築家の仕事を始めた  ・・・・まだ活動続けようか・・ 迷うね・・・・銭無いしね〜 

  

 2012/09/04り曇ったり

■たまりにたまっている 1年間放置していたmy雑事はななかなか処置が終わらないのだがこつこつすすめよう
■ アイホンにケイタイ換えたけど 使い勝手が悪いので 機種交換失敗かもしれない 反応がよすぎて じじいの俺にはやや使いにくい 

建築学会9月号に巻頭に文を依頼され書いたものが書籍になって2冊送られてくる 学会とは縁遠い俺に依頼するとは 社会も変わっていくのかもしれない。
  311以降の色々なmy活動はmy長男との日常の対話から起動したもので 家族のお手伝いなのだ。 その他の意図は無いのだが 複雑すぎる活動内容によって そのように受け止められないかもしれない。 単に家族のお手伝いってこと。 原稿は 字数制限あるので 鮪立での活動のことを主に書いた my人生の集大成のような内容になっている と気付くというか、そうなってしまうのは 凡庸だからさ 
 動資金が欲しかったので 書いたのだで〜はやくこいこい原稿料
  

 名城大学の准教授に就任した 柳沢究先生と近畿大図師宣忠先生(フランス中世史研究)が昨夜仙台に来たので仙台駅そばで呑む
 やや時期をずらしていると思うのだが「ようやく被災地入り」と笑っていた。簡単にmy活動を話すつもりが しゃべりまくりとなって 両先生にmyアホさをご披露する my新聞も手渡しワイワイ 大学に貼ってくれるそうだ 
 両人は今日 東松島から石卷、女川、北上町、志津川、気仙沼へ北上するそうだ よい被災地調査になればよいが
  


 2012/09/01  朝夕秋の気配はあるものの日中は暑い

■沢山たまった固定資産税などの山をなんとか解消したいので せっせと働こうと思った矢先に ケイタイ電話を数日前にどこかに落としてしまい 見当たらない コマ目にケイタイ番号を記録してないし 年賀状なども保管してないので 親しき人や 311以降にmy活動で知り合った人々のケイタイ番号全て消えた
 電話するてだてがないので 新しいアイホンを買う 月々6500円ほどだけど支払えるのかは不明 また電話使えなくなるかもしれない 

ケイタイ電話がなくっても若い時分には暮らしてきたんので ケイタイ電話なくてもいなーとおもっている 時は金なりなんて諺って貧乏人がその境遇から脱したいために語った糞諺たと思う 真の豊かさというのは ただ待つ能力のことなのである

そういは描いたが まず見知らぬ人が俺に苦情を言う手立てが無くなるのは非礼なので 通話できるアイホンを手に入れただけだ