辻琢磨さんについての記録 2025年4月13日 「メンドリシオ建築アカデミーなどでの活動報告」 |
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■2025年4月10日 FB投稿の写し I had a lecture in he Universita della Svizzera italiana, The Academy of Architecture in Mendrisio. You can watch my lecture and recent works from vimeo. It was so nice experience to talk with Manuel Aires Mateus and super architects in EU, such as Walter Angonese, Valentin Bearth. Thank you very much to everyone at USI and to Mr. Shinohara who is a curator of this event, for this wonderful opportunity. もうすでに先々週の出来事ですが、スイスのメンドリジオ建築アカデミーでのレクチャーの動画がvimeoで見れるようです。 (https://vimeo.com/1069581570) 大変拙い英語ではありますが、興味のある方は文字通りご笑覧ください。内容自体は403の仕事を中心に、個人事務所の仕事も混ぜながら紹介しました。最後の方でマニュエル・アイレス・マテウスさんとの対談もあります。 とても楽しかったです。USIの皆さん、篠原さん、素晴らしい機会をどうも有難うございました。 ![]() |
(ディープル翻訳) イタリアのメンドリーシオにあるイタリア大学建築アカデミーで講義を行った。 私の講義と最近の作品はvimeoから見ることができる。 マヌエル・アイレス・マテウスや、ウォルター・アンゴネーゼ、ヴァレンティン・ベアースといったEUのスーパー建築家たちと話すことができて、とてもいい経験になった。 このような素晴らしい機会を与えてくださったUSIの皆さん、そしてキュレーターの篠原さん、本当にありがとうございました。 |
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■浜松からメンドリジオへ 二つの目的をもってでかけました。まずイタリアのミラノの空港に行きました。目的地がスイスのメンドリジオという場所にある建築大学と、ドイツのインゴロシュタットという町です。そこは403の内装の物件があって竣工確認に行きました。 浜松から成田空港に行き、そこからワルシャワ経由でミラノ空港につきました。ミラノからは電車で1時間ぐらいかかってメンドリジオです。浜松の家からだとまる24時間ぐらいかかります。フライトは18時間ぐらいです。夜の11時に成田発だったんで、家を夕方3時ぐらいにでました。ワルシャワまでフライト時間が14時間でトランジットがあってミラノに2時間ほどのフライトです。 ミラノには朝の9時ぐらいに着きました。時差が8時間なんで家を11時に出て翌日の夕方5時ぐらいに着いている感じでした。たいへんでした。で現地に朝9時に着いて昼過ぎメンドリジオにつきました。昼過ごしてから夕方からレクチャーでしたのでちょっとだけ仮眠しました。 ホテルに「早めにチェックインできますか」と聞いて「できる」と言われてたんだけど、できずに2時間ぐらいどこかで待たないといけなくなりました。時間潰す前に大学に行ってしまって、先にデータの受け渡しとか下見したりしてました。 私の講演内容は動画で公開されていますので観てください。動画はこれでhttps://vimeo.com/1069581570の英語でしゃべりました。写真データです。この絵は時メンドリシオで間をつぶしていたカフェの様子です。これを食べたんですけど、ものすごい物価が高くって、これで2500円ぐらいしました。 この絵は大学です。 ![]() |
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メンドリジオの講演会場の絵をしめしておきます。150人ぐらいは入れるようですが、来てくれた聴衆は100人ぐらいでした。 知り合いじゃないんですがこのかたはポルトガルの著名な建築家です。彼はメンドリジオで先生をやっています。僕が1時間話してのち、この建築家と対談する形式でした。 ![]() ![]() ポルトガルからメンドリジオまで教えに来るのも大変なんですね。メイクド・ナウ・・という名の展覧会がスイスにある違う町で開かれました。その巡回展をメンドリシオ大学でやる、ということです。 その展覧会は日本の若手を紹介する展覧会です。巡回して毎週、僕をふくめて日本の五組に講演させる座組でした。僕は3番目でした。一番目が根市+石村の根市さんとシェンク服部の服部さん。2週目が能作+常山の常山さん、4週目がグループの二人の井上さんと齊藤さん、5週目が山田すずこさん。ポスターがありドットも出しています, ポスターが分かり易いんでデータをしめします。 展覧会はバーゼルにある美術館で、篠原さんがキューレションしてます。日本人ですけれど海外拠点のかたです。たぶん、ネットとかを中心に建築雑誌も読み込んでいます。それなりに、順当。ドットとモクチンと僕らが入ってます。 ![]() 打ち上げの様子です、学長のワルタさん。この方は前学長です。もう一人の方はシザでエンジニアしていると話してました。女性はいませんでした。 |
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■講演内容と質疑 403のプロジェクトで呼ばれているので、2011年、独立してからい403のままでのプロジェクトを中心に話ました。2024年前橋で展覧会をやりましたので、今はこれから動き出すプロジェクトしかありません。前橋の展覧会のときは商店街の人から椅子を借りてきて、それを展示しました。辻、個人の更新設計とか自邸もまぜ、割合は403のことが7割で3割は辻の活動を混ぜて、一緒にプレゼンしました。 時間は1時間半ほどで60分レクチャーして30分はマニエルさんと対談して、その後質疑応答です。 印象に残ったのはマニエルさんの最初の二つです。コンテクストというのは貴方にとってどういう意味合いがありますか?2つとも質問は抽象的な内容でした。もう一つは美しさについてです。凄い難しかったですが、なんとなく応えました。 メンドリジオの建築大学自体がわりと抽象的な内容です。マリオボッタとか、社会性というよりは建築の話をがっちりする教育です。でもメンドリジオ自体も今の社会状況とか建築家の立場とか敏感に反応していて、もう少し建築家は社会と繋がっていかないとだめだという危機感を持ってました。 彼らの言う社会性については、そんなに解像と高くは議論できませんでした。建築家が社会と切り離されていろいろ話しているだけ・・みたいな感じになっちゃっている。 スイスやヨーロッパもそういう感じなんだ、とは思いました。 僕の考える建築家像はヨーロッパから日本に入って来て、それを前提に建築と建築家教育がおこなわれて、僕もそれを教わったんだけど、基本的には強い人間像を前提にしている、御施主さんとやりとりしたり、施工者とやりとりしたり、建築に求める強い社会性も。参加者がしっかり自覚して建築や町づくりに参加している、という意味では「みかわや」的なるものを求めているんだろうな、とは思いました。 ■メンタルヘルスからうまれた弱い建築家像 僕は強い建築家像を学んできたけど、それが日本では厳しいなと。強い建築家像に僕は限界を感じてきて更新設計とか、ゆっくり作ったりしてますという話をしました。僕はストレス耐性が弱いんだと。メンタルヘルスを自分で考えていったらそうなったので、弱い人とか弱い建築家、弱い建築みたいなものを今ぼくはやっています、と。強いのが出来ないので、僕はそういう作戦をとっています、と言ったら。マニエルさんが「私たちの考え方に対して批判している・・・」みたいな応答がありました。「自分たちのほうが貴方のプロジェクトからはたくさん学ことがありました」、と言ってはくれたけど、どこまで刺さっているのかは判断できませんでした。それがレクチャーの概要でした。 右の絵がいい感じの中庭です。 翌日は完全にフリーだったんです。 |
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■2日目 レクチャーの翌日の朝に学生とご飯をたべよう、と言われていたので、もう一泊します、と応じていたんだけど、学生が提出間際で忙しいからバラシになったんです。一日フリーになりました。 コモが30分位と近いので、テラーにの建築がたくさんある場所です。行こうかなと思「ってたんだけど、食事会の後に学長のワルタさんから「明日暇か」と聞かれて、スタジオを紹介してあげるといわれて。20箇所ぐらいスタジオを紹介してもらいました。 で、午後に教授のひとりジョナサンサージソンさん、イギリスとチューリッヒを拠点にしている二人組の建築家。彼のスタジオの助手が日本人で、桜井太郎さんというかたで、面白い人でした。で、サージソンのスタジオに参加させてもらって、エスキスに加えてもらいました。 桜井さんは副業でお握り屋をやっていまして、建築事務所もやってて、それに助手もやっている人でした。 で、おにぎり屋でご飯を食べて、その後スタジオに参加しました。日本人の学生が3人いて、一人は滋賀県大で阿部さんといいました。桜井さんと学生と私と5人でご飯を食べて終わりました。 彼らと話し合ったのは、講義の感想とか、今何を考えているんだ・・・とか。なんでメンドリジオに来たのか。それらを話ました。 |
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![]() ■3日目 ミュンヘン ミラノからミュンヘンに行く飛行機です。目的のもう一つはイングシュタットという町がミュンヘンから1時間ぐらい北に行ったところにあります。 内装設計をやったんです、逆ピラミットみたいなデザインを403で設計しました。 ![]() 照明とオブジェですね、空間をちょっと分節するようなものです。住宅のリビングの天井の一部を設計しました。中に黒いピアノのような反射する塗料を塗って、床と同じ寸法のピースで凸凹させました。庭がすごい広くって。 |
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2018年からスタートしてて、3年ぐらいで竣工してたんです。確認するタイミングが無かったので、メンドリシオに行ったタイミングで行き、竣工写真を撮りました。写真家に撮ってもらいたいんですが、これは私が撮ったものです。 頼まれた経緯は、施主が一人暮らしで50才ぐらいの男性で、ネットで探してピント来たのでしょう、いきなりメール来まして、僕が担当になりました。一度現地に行ってヒヤリングをして、その時はアントワープでレクチャーしてました。 天井だけのデザインになったのは、結果的にという感じです。当初はリビングとキッチン、一体になってる全体をしっくり来ないので、そういう感じの依頼でした。 ■庭のデザインも 浜松から出かける前から、403で今度は庭もデザインしてほしいということになってました。「庭に何かを作りたい」、とのことです。ヒヤリングして庭の測量をして写真撮ったりしました。 僕らだけに依頼するじゃなくって、エントランスとか階段廻りとをボストンの事務所に頼んだ、と言ってました。 ネットで探して気に入ったデザインをするような事務所に連絡して二度目の改修しでした。 施行は施主の従妹が大工さんで、そのかたに任せました。造園のデザインは屋根なのか壁なのか分からないんだけれど、作ってほしいという注文です。基本は建築工事になります。ここは寒かったです。 ![]() 庭の写真 |
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■4日目観光する 1日フリーの時間があったので、施主さん廻りを観光しにいきました。観光地に行くというよりは現地のローカルな所に行く感じでした。道のりにある民家にはソーラーパネルが載っているものが多かったです。 (施主が紹介してくれたいい建築) 山奥の廃墟の教会です。壁しか残っていなかったそうですが、屋根とそれを支える柱だけを付け加えて、改修したそうです。でも誰が設計したのか、それは分からなくって。いい設計でした。新しい屋根だけ支えるための鉄骨をデザインしました。 ![]() ![]() |
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これを観に連れてってもらいました。御施主さんは大学で建築を学んでたらしいんです。今はインゴルシュタットが車のアウディの城下町になっていて、関連企業で働いているそうです。 光っているところに十字がありますけれど、ガラスを支えるマリオンなんです、それで十字を切ってました。この改修後の建築・教会はたいへんよかったです。 ![]() 5日目 ミュンヘン 翌朝はミュンヘンに移動しましそこからミラノに帰るんです。半日時間があったので、ミュンヘンのオリンピックスタジアムへいきました。フライオットウの設計で、これも素晴らしかったです。 ![]() ![]() |
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次にコープヒンメルブラウ設計のアウディのショウルームです。デコンて感じです。いいなとおもいました、というかこの規模でこのクライアントだから求められていることに応えたという感じの建築でした。 日本で住宅でこんなことやっててもしょうがないと思うんです。こんなにグシャグジャしているのに目地はちゃんと合っている、目地折なども参考になりました。手すりの支えを目地からだしていたり、角度合わせたり仕事は細かいです。 オリンピックスタジアムの方が建築の歴史に残る金字塔という感じはしました。10人ぐらいの共同設計だったようです。10人の名前が出てこないですけれど。ドイツ人建築家総出で設計したんだろうなと想いました。 明らかに東京の代々木第一体育館と国立競技場を意識してるなーと思いました。屋根の上に載るツアーもあったんですけど、7、000円ぐらいかかるんです。ネットで調べたら屋根材は半透明のアクリル樹脂とありました、寄って観てもアクリルかガラスかーって感じでした。信じられない。構造力学、こういうふうに力が流れできているんだと、なんとなく分かるんですけどどういうふうに施行したのか?それとどういうふうに設計したのか?まったく分からなかったです。最初どこから造ったんだろう? 稜線みたいになっていて、一番外のスロープを歩いていくと屋根に登れるんです。 二の建築を観て、あとは1525年竣工のミュンヘンの大聖堂を観ました。ネオ・ゴシックです。(1517年ルターの宗教改革始まる) ミュンヘンの駅前からミラノへいき、そこで1泊して翌日の午前中だけミラノの建築を観ました。 これがアンジェロマンジェロッティの共同住宅です。これらの建築は桜井太郎さんに教えてもらった見どころ建築です。 アスナゴベンダーの共同住宅。そしてミラノの大聖堂を観ました。 浜松の友達に人気のピザ屋さん教えてもらったんですけど長蛇の列で食べることができませんでした。 |
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![]() 帰国路 ミラノからワルシシャワにでて 成田に着きました。5泊7日の旅はお仕舞です。ほぼ毎日移動してた気がし、それが大変という印象があります。移動と飛行機に乗り遅れないよういしないと。それが大変でした。 ミラノからワルシャワ経由で成田に帰る便の乗り継ぎ時間が1時間しかなくって。それが本当にギリギリでした。カウンターの人とかオランダ空港の人にきいたんですけど、大丈夫だと言われまして。ワルシャワについて直ぐ航空ゲートに行ったんだけど。出国検査がワルシャワなんです。それが凄い並んでて、女子高生たちが集団でいました。 乗り継ぎの便は香港経由かワルシャワ経由でしたので時間的に良さそうなワルシャワ経由を選びました。 ウクライナの上は飛んでいたかな?ロシアは外れ中国上空は通ってました。モンゴルと北朝鮮も避けてたかな。 行は北回りだったんだけど帰りは偏西風を捕まえてのる航路でした。 以上が今回の活動のあらましです。 ![]() |
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