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            本間英一さんの地域活動記録 門脇2〜4丁目コミュニティ ニュース録
門脇町2〜4丁目コミュニティ ニュース No.2        no.1へ
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             第2回イタリア料理 2011年秋「楽しい昼食会」

       


 9月18日(日)第2回目のイタリア料理昼食会が開催されました。5月29日に行われた第1回昼食会は、雨模様で天気に恵まれませんでしたが今回は良い天気に恵まれました。スタッフは前回同様レストランテ寺崎の皆様と、加えて木製ハンコ(篆刻)の作成と書道教室が行われました。(写真上 スタッフ・参加者)
 今回のスタッフは20名、車5台に分乗して当日9時過ぎには到着して早速準備に取り掛かりました。料理の準備の間に、自分のハンコ作りと「たのしい書道」の体験会を行いました。ハンコは3センチ立方の木片に自分の落款を刻み、自分の書いた書道に押印します。大筆で笑い文字や迫力ある文字を新聞紙1枚分の紙に書きました。十数名が参加し落款の色もとりどりで楽しい体験になりました。

 12時より、お待ち兼ねのイタリア料理です。30数名が参加し、テントとカーポートの下にテーブルをしつらえてイタリア料理とワインを楽しみました。皆様何を食べたか忘れたかもしれませんので、今回のメニューを以下に記します。
あじのカルピオーネ カポナータ 豚のラルドとトマトのブルスタッケ
さんまとアンチョビにラグーモボレード 手打ちタリアッテレ
ピステッカ・アッラ・フィレンティーナ(ステーキ)  アイスクリーム
また、即席で「リストランテ門脇町」という看板も作り、日和山のくるみも使われました。これを見るとまた食べたくなりますね! スタッフの皆様本当にありがとうございました。第3回目のイタリア料理昼食会は来年の4月22日(日)に実施する予定と連絡がありました。皆様ご期待ください!!
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       上)はんこ作りの様子

       
        上)書道に挑戦

       
       上)テント席

       
        上)カーポート席

 コミュニティニュースNo.1は7月発行でしたが、その後の地域の主な出来事を以下に記します。

7月15日
石巻でこの夏の最高気温を記録 34.9℃

7月16日
 「都市基盤復興計画に関する住民との意見交換会」が14時より15時30分まで石巻商工会議所で開かれる。市の基盤整備課より、石巻市の復興イメージについて・建築制限区域について・災害市街地復興推進地域について、の説明のあと意見交換が行われた。この段階ではまだ具体的な話はなく、住民からは市に対して厳しい意見が数多く出された。

7月31日
 石巻川開き祭りで慰霊祭が行われ、北上河畔の慰霊の祭壇には多くの人が震災で犠牲になられた方々に祈りを捧げた。また、たくさんの流し灯籠も北上川の川面を埋め、なくなられた方々の魂を思い起こされるようであった。
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8月1日
 石巻川開き祭り開催(第88回)開催については賛否両論があったが、天気にも恵まれ金華山の竜神踊りやディズニーのミッキーマウスのパレードが初めて披露されたくさんの人出があった。

8月4日
 鎌倉よりボランティアの松尾さんと仲間が再び当コミュニティーを来訪され、散髪をしてくれた。
NPO石巻復興サポートセンターによる炊き出しの夕べ

8月19日) NPO石巻復興サポートセンターのスタッフの皆様ら10名による炊き出しが行われました。炊き出しは17時から行われましたが、その前に側溝掃除のボランティア活動もしていただきました。サポートセンターの鈴木奈々理事長よりご挨拶を頂き、当地域からは阿部公夫さん和子さんがお礼の挨拶をしました。出し物は、「冷やしうどん」「焼き鳥」「カキ氷」そのほかビール・日本酒などたくさん提供頂きました。スタッフの皆様が冷やしうどんを作り、専務理事の青木さんが自ら焼き鳥を焼いてくれました。20数名が参加、お酒も進むにつれ後半には歌や民謡も飛び出し20時の終了まで大変盛り上がりました。スタッフの皆様に感謝です!

        
        上)鈴木理事長の挨拶

        
        上)阿部和子さんの挨拶

        
        上)懇談も盛り上がる

        
         上)青木専務理事の歌

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8月21日
 門脇町平和会(2〜3丁目)の物故者慰霊祭が西光寺で行われ、40数名が参列した。平和会では津波による犠牲者の数は30名以上におよんだ。

9月1日
 宇都宮のボランティア池田敦子さんから宇都宮名物のたくさんの煎餅と団扇が届く。池田さんは宇都宮で学習教室を経営しており、団扇は招き猫と金魚鉢のかわいいものです。大変ありがとうございました。

9月4日
 台風12号、紀伊半島で大雨のため土砂崩れなど多数発生し、100名以上が亡くなる。他人事とは思えないニュース。

9月16日
 日本製紙8号マシンが稼動、半年が過ぎ復旧の歩みが始まる。

9月18日
 第2回イタリア料理昼食会 第1面に記載。

9月21日
 台風15号のため、市内各所で増水、通行止め。地盤沈下の影響が大。

9月26日
 フイリッピンのアキノ大統領が来石、門脇小学校で献花する。

9月29日
 信号機の故障のため、市内各所の交差点で各地から来た警察官により行われていた交通手信号が本日で終了する。

10月3日
 蔵王などの山で初冠雪が観測される。この3月の寒さが思い出される。

10月15日
 震災以来撮影されてきたドキュメント映画「宮城からの報告〜子ども・学校・地域」の予告編が一般に公開される。アイトピア通りのかめ七呉服店で15時・19時の2回、地域の方々も参加し満員となる。この映画は阪神大震災のドキュメンタリーを制作した青池憲司監督らにより、1年間にわたり記録する。

10月20
 台湾からの見舞金が石巻の被災者に配布される。これは台湾の慈済(ツーチー)基金会からのもので、当会は世界各地で慈善活動をしている。感謝!

10月22日
 フランスのフィヨン首相が来石、小雨の中日和山から階段を下りて門小の前を通り「がんばろう石巻」の看板の前で献花する。

11月5日
 ダライ・ラマ法王が来石、西光寺において震災で犠牲になった多くの物故者のため震災慰霊の法要を行った。800名以上の市民が参加。ダライ・ラマは第14世の法王で、1989年にノーベル平和賞を受賞している。1960年インドにチベット亡命政府を樹立して、以来チベットの平和による独立と世界平和を求める活動を続けている。
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当コミュニティの在住の住民(2011年11月現在)

1 遠藤さん   5名  門脇町2丁目
2 越智さん   1名  門脇町4丁目
3 阿部さん   4名  門脇町4丁目
4 青柳さん   2名  門脇町4丁目
5 阿部さん   2名  門脇町4丁目
6 小笠原さん  5名  門脇町4丁目
7 西村さん   4名  門脇町4丁目
8 大島さん   3名  門脇町4丁目
9 後藤さん   1名  門脇町4丁目
10 佐藤さん   1名  門脇町4丁目
11 中山さん   4名  門脇町4丁目
12 和田さん   3名  門脇町4丁目
13 小松原さん  3名  門脇町4丁目
14 細川さん   2名  門脇町3丁目
14世帯  40名

               歴史講座 三陸地方の歴史に残る大津波

1.チリ地震津波  昭和35年(1960)5月24日
   マグニチュード 9.5  死亡者 142名
 前日の5月23日午前4時11分にチリ沖で発生した地震により発生した津波は、1万2千キロを隔てた日本沿岸に押し寄せた。宮城県沿岸には2時55分に第1波が到達し、午前6時20分には内海橋付近の波高は2.8mに達した。石巻では死亡者1名、行方不明者1名、住宅では全壊46戸、流失18戸、半壊171戸、床上浸水847戸、床下浸水1739戸、住宅以外の建物被害381軒船舶の被害は126隻で被害総額は19億360万円であった。昨年3月27日のチリ地震での大津波警報は記憶に新しいが、チリ地震が原因の津波はこれまでに少なくとも7回は確認されていたといわれる。

 2.昭和三陸津波   昭和8年(1933)3月3日
   マグニチュード 8.1  死亡者 1522名 行方不明 1542名
 3月3日午前2時31分頃、震度5の強い揺れを記録し、津波は三陸沿岸に大被害を与えた。特に岩手県田老町では人口の42lに当たる763名が死亡,家屋も98lに当たる358戸が全壊した。石巻では被害はほとんど無かった。

 3.明治三陸大津波 明治29年(1896)6月15日
   マグニチュード 8.2〜8.5  死亡者 21915名(岩手18158名・宮城3452名・その他343名) 行方不明者 44名
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 6月15日午後7時32分頃に地震発生、この時の地震はプレートがゆっくり動いたせいか、震度3程度であったという。しかし、この津波は岩手県綾里湾奥で観測史上最高の遡上高38.2mを記録した。ハワイでは最大9.14m、カルフォルニア州でも2.9mの津波が観測された。石巻では被害は少なく、被災民救済のため義援金の募金運動が行われたことが石巻婦人会の記録に残っている。

 4.寛政津波 寛政5年(1793)1月7日(旧暦)
   マグニチュード 8.0〜8.4  死亡者 約100名?
 1月7日九ツ時(12時頃)三陸一帯で震度5クラスの地震が発生、それによる津波が三陸地方を襲った。この時の記録は各地方に多く残っており、最大の津波高さは岩手などで5〜6m程と推定されている。なお、三陸という呼称は明治以降の呼び名である。

 5.慶長津波 慶長16年(1611)10月28日(旧暦)
   マグニチュード 8.1  死亡者 仙台藩1783名 南部津軽3千余
 10月28日巳刻過ぎ(10時〜11時)大地震が発生した。この津波による痕跡は山元町・亘理町の海岸線より500m内陸部で発見されている。岩沼市では阿武隈川沿いにある千貫山の麓(当時海岸線より4キロ)まで船が運ばれたといわれる。

 6.貞観津波 貞観11年(869)5月26日(旧暦)
   マグニチュード 8.3〜8.6  死亡者 約1000名?
 今回の大震災の前に、仙台平野で貞観津波の痕跡がかなり内陸部で発見されたことが報道された。この教訓が活かされる前に今回の震災が発生したことは残念なことである。

 史上最大の津波被害 スマトラ沖津波 2004年12月26日
   マグニチュード 9.3  死亡者 約22万8千人
 12月26日インドネシア西部時間午前7時59分、スマトラ島北西沖160キロ付近で大地震が発生した。この地震による津波によりインドネシアを中心に各国で大規模な被害が発生し、死亡者は23万人近くに及んだ。(日本人の犠牲者は42名)このときの波高は平均10m、最大34mであった。


編集後記
 津波から8ヶ月が過ぎ、この地域のガレキもほとんど撤去されて整地も進んできました。ボランティアの皆様も大分少なくなりましたが、地域の復興はまだ遠い先の事のようにおもわれます。コミニュティニュース第2号を発行することができましたが、掲載できなかったことも多々ありますがご容赦下さい。次号は来年3月の1周年を過ぎてからの発行を考えています。皆様からも何か話題などがあればお知らせ下さい。               編集・文責 本間英一