花田達朗
■2020年10月8日
朝日新聞オピニオン面「私の視点」と私

 朝日新聞2005 年3月8日の朝刊14面、オピニオン面の「私の視点」欄に「編集権/『報道の自由』の徹底こそ」という見出しの文章が私の名前で掲載された。そのもともとの原稿はゲラ組み後、掲載日も決まっていたが、掲載直前になってボツになっていた。掲載不可という決定を受けたのである。つまり、その掲載された原稿とは、紆余曲折のあった末に復活してきたものだった。その経緯は社内で直接関わった人々以外には誰も知らないだろう。そのことを記録しておく気分になったので、書いておきたい。

 まず、実際に掲載されて人々の目に触れたのはどのような文章だったか。次に掲げておこう。


(参照画像)













(2005年3月8日 朝日新聞朝刊14面)













  編集権/『報道の自由』の徹底こそ

 昨今、メディア絡みのニュースが続く。一つ、気になるのが「編集権」という言葉である。
 昨年(2004)9月に衆議院総務委員会が不祥事問題でNHKの海老沢勝二前会長らを招致した折、NHKは中継せず、批判された。海老沢氏は「中継するかどうかは編集権の問題だ」と語った。同氏が「編集権」を盾にしたことと、1月の記者会見で関根昭義前放送総局長が番組改変問題に関して、政治家に番組内容を事前に説明するのは「当然」の対応だとしたことは根底でつながっていると思う。橋本元一現会長が政治家への事前説明は「好ましくない」と多少修正したが、それで実態が変わると考え得るほど、事は簡単ではない。
 「編集権」という言葉は日本では独特の歴史を背負う。連合国軍総司令部(GHQ)の指導で48年、日本新聞協会(NHKも加盟)が出した「編集権声明」に依拠する。「新聞編集(放送の場合は番組編集)に必要な一切の管理を行う権能」とされ、経営者および編集管理者は「個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対し……守る義務がある」とし、「定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する」とした。
 その狙いは「外部」より「内部」にあり、以来、労働組合の排除や今回の海老沢発言に見られるように経営トップの“信念”の押し付け、下僚へのある種恣意(しい)的圧力に使われてきたと言える。そのような編集権が、組織上方に向かって忖度(そんたく)する意識、つまり記者や中間管理職個々の自主規制という心のシステムを作り上げてきた。
 NHKの場合は予算と決算が国会承認事項のため、政権与党にいわば“政治的人質”を取られている。予防のために番組の事前説明を長年繰り返していると、忖度するシステムの梯子(はしご)は経営者で終わらず、政治家にまで伸びてしまう。
 「圧力」とはそもそも自立した主体の間でこそ生じる。政治家への事前説明を「通常業務」と考える体質のなかでは、「メディアへの介入」意識そのものが双方ともに薄くなるはずだ。そうなると、客観的に見た場合の「圧力」が主観的にはなかったことになり、争うこと自体が意味をなさないことになる。
 思うに、「編集権」は冷戦の産物であり、それが今も日本のマスメディアで元気に生きているのは不思議である。現に、一般社員や職員がまるで自分が上位にあるかのように、「編集権はうちにありますから」と外の人に平気で言う。「編集権」という言葉を自ら認めるのなら、その言葉により、いつ自分の身に上からの統制が働いてくるかを心配すべきだろう。
 「編集権の独立」を言う論者も見受ける。しかし、外からの侵害に対しては、国民の知る権利に奉仕する「報道の自由」という憲法上で保障された概念を使えば十分だ。それを盾にすることで、「編集(局)の独立」が守られ、同時に読者・視聴者の負託に応えることができる。
 「編集権」が上から下へ貫徹し、下から上へと忖度する心が浸潤し、ジャーナリストの仕事に枠がはめられるというのは、メディアの健全な姿でない。
 記者同士が切磋琢磨(せっさたくま)しあい、経験者の志と技が後進に伝承され、職能集団の自立性と自発性を高めていくこと、つまりプロフェッショナリズムを根付かせることが必要だ。それがジャーナリズムの自由と独立、ジャーナリストの責任と倫理につながる。「編集権」はそれを阻害している。
 「編集権」と「報道の自由」の混同をやめ、「編集権」自体を再考すべきである。「報道の自由」の本義にこそ立ち返るべきだ。


 以上の原稿に先立つもとの原稿が掲載直前にボツになっていたわけである。その経緯は次のようなことだった。
 担当記者と話した後、2月8日(火)深夜に彼からメールが届いて、12字×119行の原稿の正式依頼を受けた。原稿を書いて、「忖度システムと編集権」というタイトルを付けて、13日(日)夜にその担当記者にメールで送った。14日(月)の段階で最終ゲラは完成し、見出しは「番組改変問題/グッドバイ、編集権」となっていて、「あす組み、あさって紙面掲載」という連絡を受けた。ところが一転、15日午前3時40分発信のメールで担当記者は「掲載不可となった」と伝えてきた。一体何が起こったのか。
 後述するように、それ以前にも翌日掲載という最終ゲラがボツになったことがある。その時は海外出張の直前でタイミングが悪く、あっさりと放り出してしまったのだが、今回は「はい、そうですか」と引き下がる気持ちにはまったくならなかった。自分の産み出した文章をディフェンスするために相手へのアタックも辞さないという意を決した。そうたびたび自分の子どもを殺されていてはたまったものではない。そこで戦いの戦術と段取りを考えた。第1弾として、私は15日の昼、吉田慎一編集局長に手紙を書き、ゲラを同封して郵便局から速達便で発送した。寄稿者としての私のポリシーを述べた上で、二つの質問への回答を求めた。掲載不可の決定に関与されているならその理由を説明していただきたい、関与されていないならボツ原稿を読んで掲載不可という判断をどう考えられるかを伺いたい、その二つである。
 17日午前、吉田氏から電話があった。「掲載に問題ない。担当者と話してほしい」ということだった。ならば、第2弾を繰り出す必要はないかもしれないと思った。そのあとすぐ、午後2時には企画報道部長(つまり「オピニオン面」の編集長)の訪問を受けた。不掲載と考えた理由(そう考えたのはその部長ではなかったのだが)の説明があり、彼らの立場からする修正点の提案があった。おそらく彼にとってそれは不本意な役回りであっただろう。なぜなら、あとからわかったのだが、彼は掲載を支持していたからだ。掲載へ向かって担当記者との話し合いがあった。そのプロセスを経て28日に新しい原稿が出来上がり、紙面に掲載されたのは3月8日だった。こうなると、もう担当記者との合作のようなものである。「私の視点」ではなく、「私たちの視点」だ。しかし、今回は、いくら妥協しようが、ともかく日本の日刊紙の紙面に「編集権」の見出しを付けて、それを問題視する論考を掲載すること、それだけを優先した。
 この過程全体を通じて知り得たことは、局長室(危機管理)チームというものがあって、私の最初の原稿の掲載をめぐっては、原稿掲載を主張するオピニオン編集部の編集長およびデスクに対して、局長室(危機管理)チームが「掲載不可」を主張し、その主張を押し通して決定したということである。私の原稿は危機管理の対象にされたのである。一体何のリスクがあるというのだろうか。私はその層の管理職が日本の新聞をダメにしているのだという認識を形成した。
 その官僚体質の担い手たちの犠牲になって、私の原稿は換骨奪胎とまではいかなくても、「丸められたもの」に姿を変えられたうえで復活した。「グッドバイ、編集権」の視点が消されてしまい、「『編集権』自体を再考すべきである」に後退していた。もともとの「グッドバイ」の表現ですら、柔らかいものに工夫したつもりだったのに、それさえも残らなかった。そんな小細工をしないのであれば、「編集権声明は廃止すべきだ」というストレートな主張となるだけのことであり、ただそういう話なのだ。
 この間の原稿の変化を見えるようにするため、ここに最終ゲラに組まれた後にボツになった原稿を収録しておくことにしよう。


  番組改変問題/グッドバイ、編集権

 朝日新聞の1月12日記事(NHK番組改変)をめぐって、NHK、 朝日新聞、政治家の間で応酬が続いている。
 だが、この間、見落とされている問題があるように思う。「編集権」という言葉のことだ。不祥事問題で、昨年9月に衆議院総務委員会が海老沢会長(当時)らを参考人招致した折、NHKは質疑の模様を中継しなかったが、海老沢氏は「中継するかどうかは編集権の問題だ」と語った。また、今回の番組改変問題に絡んで、関根放送総局長(当時)は1月19日の記者会見で、番組内容を政治家に事前説明することは「当然」との認識を示した。
 前者は後に本人によって「失言」だったと釈明があり、後者は橋本現会長によって「好ましくない」と少し修正された。しかし、それで実態が変わったと考える人はいないだろう。
 NHKは予算と決算が国会承認事項のため、議会多数派つまり政権与党に政治的「人質」を取られていると言ってよい。紛争予防策として番組の事前説明が必須となる。それを長年繰り返していると習慣になる。
 「圧力」とはそもそも自立した主体の間で生じるものだが、ある種習慣化した馴れ合いの中では「政治的介入」の意識そのものが希薄ないしは不在となろう。その意味では、政治家からの圧力があったかどうかを論じること自体が無意味なのかもしれない(半分皮肉だが)。むしろそこでは、編集権という概念は経営トップの自分の都合や組織内部の下方への圧力のために使われることになる。
 編集権という言葉は、実は戦後間もない48年に連合国軍総司令部(GHQ)の指導により日本新聞協会(NHKも加盟)が出した「編集権声明」に依拠している。それは新聞編集(放送の場合は番組編集)に必要な一切の管理を行う権能とされ、これを経営者および編集管理者は「個人たると、団体たると、外部たると、内部たるとを問わずあらゆるものに対して」守る義務がある、とした。
 だが、戦後の体制選択をめぐる厳しいせめぎ合いの中で、編集権は経営側が内部の労働組合を排除することに使われた。「外部からの侵入に対してはあくまでこれを拒否する」と書いてはあったが、GHQの検閲も行われていた。歴史的に言えば、編集権とは冷戦構造の産物にほかならないのである。
 さて、冷戦はとっくに終わったはずなのに、その言葉はいまだに元気に生きており、メディア企業の中でしばしば使われている。一般社員や職員も外に向かって平気で使う。「編集権はウチにありますから」と。一方、「悪い編集権」と「いい編集権」があるように言う論者も見受ける。「経営者は編集権を盾に政治的介入をはねつけるべきだ」と。私は編集権にいいも悪いもないと思う。
 メディアで仕事をする人が編集権を認めるのなら、同じ言葉でいつ自分の身に上層部からの統制が働いてくるかを考えるべきだろう。政権与党のみならず外部からの圧力や侵害に対してなら、国民の知る権利に奉仕する「報道の自由」という権利概念で十分なはずだ。
 上から下へと編集権が習慣化され、下から上と忖度【そんたく】する心が浸潤し、引いてはメディア企業ごとの政治傾向によってジャーナリスト個人の仕事に枠がはめられているという姿、これはひとりNHKだけのことだろうか。
 ジャーナリズムの自由と独立、ジャーナリストの責任と倫理のためには、記者同士が切磋琢磨しあうプロフェッショナリズムを根付かせることが必要だ。編集権という幻が上へ下へと自由自在に移動しては威力を発揮し、専門的職能の土壌を削り取っている。メディアの中から「 グッドバイ、編集権」の声が出てくることを期待したい。


 局長室(危機管理)チームはこの原稿が朝日新聞紙面に掲載されることを阻止しようと頑張ったわけである。ジャーナリストよ、プロとして頑張れと、応援歌を歌っているのに、どこが危険なのか。私が元原稿に付けたタイトルは「忖度システムと編集権」だったが、まさにそれが指摘しているメカニズムが働いて、つまり忖度が働いてその原稿がボツにされてしまったとは何と皮肉なことだろうか。元原稿のタイトルはその原稿自体をめぐってその後に起こることを予告していたということになる。この原稿を通したら上司の局長からお咎めを受けるんじゃないか、この原稿は局長や編集担当役員や社長のお気に召さないのではないかと想像を巡らせ、掲載しないと決定したら、実は局長は問題ないという考えだった、という喜劇なのだ。これでは、私の流儀からすれば、もはや応援のしようがない。何か大きな勘違いをしてきたのではないのか、私は? 
 局長室(危機管理)チームとはどんな人たちなのだろうか。名前も顔もある人々であろう。「出てこい。姿を現して、直接議論しようじゃないか。匿名でいい加減な権力を振るうんじゃないぞ。人から文章をもらうのなら、それなりの覚悟を持てよ」と、私は思った。

 ところで、前述のように、それ以前にも朝日新聞「私の視点」で原稿がボツになったことがある。結果から言うと、「私の視点」での私の対戦成績は4戦で2勝2敗である。そのうちの1勝は「行司差し違え」で、取り直し後の1番での1勝だ。つまり上記のケースだ。自分で「物言い」をしなければ、危うく1勝3敗になるところだった。スムーズな1勝は一つしかない。その四つとも私が自分から投稿したものなど一つもない。すべて担当記者が訪ねてきて、その問題意識を聞き、執筆依頼を受けて書いたものである。
 読売、産経、日経から依頼されたことはない。私とは接点がないから当然だろう。毎日からもない。担当記者から依頼があって掲載されたことがあるのは、東京新聞、沖縄タイムズ、琉球新報の3紙で、各1回。そこで文字数の調整を求められたことはあったとしても、表現の修正を求められたことはない。となると、朝日の4回というのはほかより多い依頼ということになるわけだが、しかし事故続きだ。

●1993年10月に始まるいわゆるテレビ朝日報道局長・椿発言事件について書いた原稿があるのだが、これは担当記者がどんどん直すので嫌気が増幅していた中でゲラは完成し、いざ掲載という段階で、今度は顔写真の掲載・不掲載をめぐってもめ、上司が顔写真を提出しないのなら原稿は掲載しないという判断で、不掲載となった。




○2001年5月26日に掲載された「新聞/論評は『外注』より自前で」。これは何の問題なく掲載された。

●2002年6月8日(土)掲載予定だった「メディア/分断を超えて改変に抵抗を」。これは突然前日に掲載中止となった。

●○2005 年3月8日に掲載された「編集権/『報道の自由』の徹底こそ」。これはここに書いた通りの経緯で、一旦ボツになったあとで復活した。


 3番目のものについてだが、2002年に「メディア規制3法」が国会に提出されようとしていた頃で、その時毎日新聞が防衛庁作成リストについてスクープを放った直後という時期に原稿の依頼があった。そこで書いた原稿のタイトルは「分断を超えてパブリック・サービスで一致を」だった。担当記者とのやり取りはほとんど問題がなかった。ところが、掲載予定日の前日、突然掲載中止の連絡が入った。担当記者が来て、謝った。原稿料は支払いたいと言うから、断った。それは金曜日のことで、3日後の翌週月曜日には成田からロンドンに発つ準備をしていたところであり、「公界論」の英語発表の原稿(The Lost Public Sphere in Japanese History)がまだ完成しておらず四苦八苦していた真っ最中だった。不意を突かれ、「こんな時にそんなの勘弁してよ」という気持ちだった。また日本を10日間も留守にしたので、まったく何も対応できなかった。というよりも、「この文章が欲しくないのなら、掲載しなければいいじゃないか。損をするのは朝日新聞の方だ」と、その時は未練も何もなかった。
 最終ゲラに組まれた上でボツになったその原稿であるが、それも記録のために、ここに収録しておくことにしよう。一体、これのどこが気に入らなかったのだろうか。




 (2001年5月26日 朝日新聞 17面)

 メディア/分断を超えて改変に対抗を

 ここ10年の経済低迷の中で、メディア状況も軌を一にして混迷を深めてきた。評判下落とジャーナリズムの機能低下は覆うべくもない。どうしたことか。
 奇妙な光景がいくつもある。政治家と新聞は歩調を合わせるかのように、NHKに、肥大化批判や民営化論で揺さぶりをかけている。政治家はNHKのコントロールをもくろみ、また新聞社がNHKと競合している民放と系列関係にあることはだれでも知っている。
 一方で、新聞の再販売価格維持制度の存廃が議論となり、新聞社が「公共性」を御旗にして闘っていたとき、NHKがこの問題を本格的に取り上げたことはない。触らぬ神に祟りなしなのか。
 NHKの受信料制度も新聞の再販制度も「公衆へのサービス」を遂行するために必要な経済基盤を保障する仕組みである。その根幹が改変されようとするとき、それに対抗する連帯感をメディアの中に見るのは難しい。
 しかも、メディアの理念的な主張が、実は組織温存やシェア確保など自己利益のためと見受けられる場合が多い。また、報道被害や記事盗作など不祥事で、お詫びと検証を繰り返してきたが、一過性の対策で終わり、同時に内部での萎縮や退廃を招く結果に終わったと言えないだろうか。
 その副産物はメディアへの公衆の反発と無関心である。
 メディア間の分裂に加えて、メディアと公衆の間の分断という状況を政治の側は見逃さなかった。象徴的な例が個人情報保護法案などの国会提出だった。
 公衆の側に立ち政治を監視することがジャーナリズム機能だ。そこにメディアが特別に扱われるゆえんがある。政府というものは残念ながら、逸脱し間違える。自己保存・自己拡張という生理や本能が働くからである。だから、監視役として「番犬」(ウォッチドッグ)が必要とされてきた。
 しかし、個人情報保護法案や有事法制関連法案などへの対応を見ていても、「番犬」がだれのために、何を監視するのか、わからなくなっている。これまでも、政府に手なずけられて走狗となったり、主人たる公衆にかみついたり、ただ踊ってばかりという者もいた。
 メディアが特別な役目を自ら返上したり、政府や議会がメディアの「特別に扱われる権利」を奪ったりするなら、メディアはふつうの商売となってしまう。それでいいのだろうか。いまこそ、二つの分断を超えて、プロフェッショナリズムの再構築と教育でジャーナリストの質的生産力と社会的評価の向上を図るべきときではないだろうか。
 今回、防衛庁で情報公開請求者身元調査リストの所在が報道で明らかになったのは、立派な「番犬」がいまもいることの証しだ。公衆や市民社会が自分たちの飼っている「番犬」の働きに感謝するのは当然だとしても、立派な政府ならば、やはりその働きを憎まずにむしろ感謝するだろう。強いジャーナリズムを望まない政府はたいした政府ではない。
 政府は、個人情報保護法案などを廃案とし、メディアには引き続き「特別に扱われる権利」を認めるべきである。


 敗者復活戦での辛勝となった第4番目の執筆のあと、朝日新聞オピニオン面からの原稿依頼はもう来なくなった。面倒を起こすヤツとして登録されたか、記憶されたのだろう。こちらからも願い下げである。「私の視点」ではなく、「私たちの視点」にしたいのなら、朝日新聞の人間が自分たちで書けばいいのではないか。オピニオンの多様性を偽装するための道具にされる外部執筆者をそれとわかっていて演じるのは、私はご免である。