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デザイン・ヌーブ設計
DUET 体験記
2003年5月23日 約束してた「DUET」を体験するために6時半の高速バスで福島駅を発つ。天気予報は雨だったがボンヤリとした曇り空が救いだ。ほぼ定刻11時チョイ過ぎに高速バスの終着駅である新宿・新南口に着く。
新宿御苑外縁を眺めつつトボトボ南に向かって歩くこと15分で「DUET」の設計や監理などをおこなった
デザイン・ヌーブ(太田浩史+樫原徹)の事務所へ着いた。
事務所では建築家の
太田浩史(1968年東京生まれ)さんが執筆中で、「予定より・・」早く着いたなどと挨拶を交わす。10+1で取り組まれている「
コンパクトシティー」特集号の原稿締め切りや校正などに追われてる様子。予定より1本早めのバスに乗ったので2時間ほど早く着いてしまい慌てさせたなー。
しばらく待つ。「原稿を届けるため
メディアディザイン研究所に立ち寄りたい」とのこと。事務所を出 中央線のガードを抜けたあたりで「財布を忘れ」と太田が事務所へ引き返した。
御苑のあたりの新緑も美しい。
山手線などを乗り継ぎながら日頃の活動などを一気に伺う。雑誌に書いた文書などのコピー(SD9905
マテリアリティ・デザインレビュー2000
複合材・
混血者のリジョーナリズム−ルカルド・レゴッタのマナグアの聖堂・
ピーター・ズントー−事態の建築家)や
ピクニック・ペーパズなど 準備していただいた資料をちょうだいする。
五反田駅で山手線を降りバスに乗る模様。「DUET」の在る土地は五反田駅から国道1号をバスで西にひた走るようだ。
バスに乗り空席を見つけ座ると、
東京ピクニッククラブや
ピクニックライトの話になる・・。鮮やかなピンク表紙
(デザイン・ヌーブは鮮やかな黄色で、色の使い手でもある)の
ピクニック・ペーパーズには、
ピクニックの歴史・芝生一面にご開帳の
ピクニックでの品々。
ピクニック・ライトについての解説・柳で編んだ篭内の
ピクニックセット(カトラリー・ジャム入れ・クラッカーケース・角皿・紅茶などのケルト・短プラーなどを建築内に多様な素材が機能別に整然と配列されたかのよう)や
ピクニックの心得などが載っている。、開き見つつ解説をいただくもバスは西へ走る。
ピクニックにライトを主張するなんて、オカシイやつであると思ったね。私は10代末に山の手線の
恵比寿駅傍で寮暮らしをしてて、代々木公園や明治神宮の森を自由に徘徊してはネイチャンのスカートに頭を突っ込んで、
「ライト・ライト貸してー」・・と訴えた覚えはあるが・・・ライトを主張するなんて思いもよらなかったよ。公園の暗がりで出刃の目を避けてはライトを灯して観るもんやろ、
ライトの使い方は。
ピクニックねー・・彼女といといそおでかけし、青空の下の野原で柔肌をモミモミしあう場所ぐらい
自分で探せよ!と思うね。権利を主張して場所を確保しても、ライト使えば出刃が目の餌食になるだけじゃないの・・って思ったのね・・そこで質問する・・。
返答は
「高校生の自分には居場所がなかった・・3年間自分の居場所を探し尽くした・・都内を方々探したが全く無いのですよ・・」・・と若者に居場所を提供していない
都市に対して怒りを顕わにするのでありました。太田にとっての快適な居場所を確保提供せよ!なのね・・
都市人の快適な生活圏を確保したーい!と言い張る・・あぁそういう話なのかー・・内面に向かわず、外部の
環境不備を発明しては言い放つのねーー変なやつだ・・でも面白いし健康的でいいじゃないかい・・
怒っているよ東京の一人当たりの公園面積は5.2平米と狭いって・・ピニックできねーって・・狭いところで隠れてしなさいって、家族での親密な行為ってものは・・・狭かろうがなんだろうがすりゃいいだろーにって思うんだけどね・・
人間に居場所なんかありゃしねーんだから・・起きて半畳寝て一畳ありゃいいじゃないの・・・・と思っていた私は田舎者である。
劣悪な環境に気づき、そこで内向きになって、自分を追い込むことはしない。都市に向かって大きな態度で
環境の改善を迫るのだね。
外向きの太田は快活で健全である・・コンビニ前のウンチ座りにだって「学生には居場所がないのであたりまえでしょう」と寛大なんだ。これ私も同感だね。街は商業圏で溢れかえり高校生が生活するための居場所が無いないと思うよ。
「ピクニックできねぞー」って権利を主張しちゃう理由がボンヤリと分かってくる。喧しいヤツで側迷惑な話なんだが、そこのところが太田浩史の第一の特徴だと思った。東京の馬鹿野郎ーなんて女々しく内にむかって嘆かない
太田は都会のつーんと抜けきった明るさを体内に育てている完全なる都市少年・又は都市人なのである。
確かに都民一人あたりの公園面積は5.2平米と二人で3m角じゃ〜覗き見つかるなー・・ニューニョクは8m角だからまなんとかインティマシーいけそうだよな・・・劣悪な
都市環境に対する怒りから
太田はピクニック・ライトを発明し、ピニックの歴史を調査し続け、
東京ピクニック・クラブを立ち上げ、本まで出しつつピクニック・セットをロンドンまで調査購入にでかけ、日本で再販しちゃおうと仕掛ける。
そのあたりを考えるまとめ行動するヤツは、建築を作る才能は後で確かめるとしてだな・・
ある種 愛すべき人間としての見事な才能の持ち主なんだと俺は西に向かうバスの中で思ったね。
ピクニックの発生っていうのは
コーヒハウスと同根かもしれない。花田達朗さんによる
「公共圏」で教えていただいたけど、人間活動の根元的なエネルギーを生産し続ける
親密なる私的領域と
公権力(教会や王)の間に発生した、
政治的公共圏や文芸的公共圏と呼ばれるようなもの1種であろう。自由で怪しげで、言論も愛もお金なども自在に飛び交わった空間・・
ピクニックとはコーヒーハウスのような場を青空の下に確保したと願った人々が創ったと想像すればいいようだ。これは野遊びとも近いように想うね。
表参道の歩行者天国から生み出された若者文化躍動。例えば歩天でのバンド活動が
バンドブームを日本にもたらした。たしかに
「都市環境は新しい何かを生み出す土壌でなければならない」と語る太田は
都市人としは当たり前の発言を行っているのだ。「
原宿歩天のような自由な都市空間が生み出す文化はついに、そこに住む住人達のエゴで潰された」と語っていたね。都市を享受するだけの前世代とは明らかに異なる日本での
都市人の誕生を祝うべきである。
ピニニックについて講義を受けている間にバスはあと少しで
多摩川へ辿り着きそうな場所にさしかかる。「ここで降りましょう・・」と160円ほど支払い バスから飛び下りる。国道一号を渡り
古木の桜並木のトンネルを抜け出右に折れ、ダラダラとした坂道を上る。途中にマンション建設時に周辺住民の代表として太田が主張し勝ち取ったと語る
公開空地をちらりと覗く。またすこし上り、左折すると二軒目に
DUET。
あたりは都心にある雑然とした住宅街とはまるで違う・静かな雰囲気で高級住宅地といった言葉が似合う。日本での古い宅地分譲地らしく、東西に整然と走る道幅は広く、建っている建物も整然とし、取り囲む木々は豊に成長している。少年の頃「
この道を真っ直ぐ歩いてゆけばアメリカへ行けると本気で思っていた」と太田は笑った。少年に道とは真っ直ぐアメリカへ続くもなのだと思わせるには充分な道面なのだ。
初めに北側の
L型が組み立ち上がっているようなDUET北面に出会うことになった。「
模型と違うナー・・」と思った。レンガ積に似た
断熱RMブロックである下部のL字形の固まり。その上部は
増築したかのように見えるL字形集合。押し出し成形板にペンキ仕上げはその感を強くさせる。さらに全体をL字形で覆うかのように
軽いスチール材が西の大地から立ち昇っている。
路地状の西面を進むと細いスチール材は華やかな装うとなる。短い間隔で19本ほど立ち上がっていて豊かな外観を創っている。頂上は
DUET破風と私が名付た・・侍が公式行事にでも出席してるかのような
裃のシルエット。 下部スチール材の機械的なデザインにその破風はおかしみを添えている。西面はよく見ると数種類の層が重なり造り込まれている。最上層は
スチールの紗をまとったような案配で華やかである。南北端に
宮脇ふう雨樋などもあり この西面は他者の視線に直接晒されることは少ないのだが見所は満載なのである。
西の路地状の通路を抜ける寸前に三階へ至る階段がある。
DUETの南面には植え付けを済ませたばかりの
家庭菜園があった。西面のパキパキと造り込んだ空気から開放され、植物に出会うことになる。菜園は1階にお住まいの発注者が窓から飛び出し手入している様子が、道具棚などから見て取れて
建築と菜園の関係が微笑ましい。近くの壁面には家人の手作りであろう、焼く事が難しそうな大きな陶板が貼ってあり、DUETに注がれた愛情をうかがい知ることができる。
南面全体に目を向けると レンガの上に片流の建築を単に乗せたような作りかたで、
増築感染むき出し状態を一層強めるのである。東面は敷地境界に余地がなく立ち入ることができない。配水管やメータなどが覗けるぐらい。
外観を一巡してみると4面がそれぞれ別々の発言をしてにぎやかである。
新築でありながら増改築・リノベーションしたかのような印象が楽しい。
模型で3階部を眺めると、そこは周囲の人・人に開放する
屋上庭園・温室のようなはたまた、太田の語る
ピクニック広場を具現化たようだなとも読みとることができる。
屋上温室家庭菜園とも読める。
建築家は多様な事を考え実現したくなる人種であるが、一敷地に同時に多様な建築は作れないので、初めに経年変化し変容した建築を作ってしまい、現実の時間を経て
建築の理想が現れるという、従来の設計手法で言えば逆さまの作法、
逆リノベーション手法とでも言ったらのだろうかな・・。現在の社会状況をふまえると
状況吸収型とでもいえるような作法は
積極的に解釈称賛されるべき手法だと私は思っている。・・
DUETも多分そのような手法を考えだし、建築を具現化しているのだと思った。内部を一巡するとその感は一層強くなるのである。
私が訪ねた
DUETは2つの住戸として使用されてた。1階と2階それから2階一部と3階がそれぞれ一住居として区分使用されている。それぞれの住居の窓からは東西南北の周囲の景観を眺めくらすことができるようになっている。現在上部は住居として貸出中なので見学することができなかったが、いただいた写真などを観て想像してみた。
建築はその中での
人々の行為豊かさを願って創造するものでもあるが、上下に区分された現在では
模型で志向された豊かさを充分に体験することができない。太田の2階内部での説明によると「
一部の壁を取り払い上部の建築空間と連結することが可能にしてある」とのことであるから、私の想像はそう違っていないだろう。
まず求められたのは
都市生活者としての多様な有様を可能にする架構であったと思われる。
静寂を求めた下部構造と都市に積極的に開いた上部構造を積み上げ全体を軽い鉄材で覆った。3階の2本の柱
(行かづ柱とか早漏柱と私は言っている)は蛇足というもので軽やかさと儚さを奪っている点は残念だが、
DUETとはこの
架構内で展開される都市生活者の親密な私的領域と 行為を都市空間へ誘導する・行為の公共化を誘う屋上庭園の飛行石化(地球化では大げさなので)の二層が奏でるDUETというのが正しい調べあると私は思った。
それは現在と未来のDUETでもあり新築とリノベーションのものでもある。あたかも増築し陳腐な外観を装う北面などは当たりの平凡な建築とのDUTEとし、押し広げ聴くのもよいだろう。素材同士が建築化へと向いそれらの固まり同士が生成し都市の調べとなる、DUETと聴いてもいい。体験者の知識などで多様なDUETを聴き分けることができるのが楽しいのである。
帰り道、近くにある有名建築家が設計した家を眺めながら、
次作で工事中の集合住宅の現場に立ち寄り見学。柳の交番という愛称を持つ5差路の交差点に面した敷地は奥行き7m 幅20mぐらいであろうか道路に接する長さがナガーく、完成すれば露出度満点となること間違いなしの立地条件。
2階一部の断熱ブロックが積み始められていたところでしたが、1・2階は留学生を対象とした賃貸住居で3階は発注者の住居となるとのこと。1階と2階のプランがとてもいい感じで私は太田の「
志向と発言と行為とチャレンジに齟齬や迷いがない」とこの建築を見て確信しました。この現場が完成し建築を体験するとデザイン・ヌーブの面々が考えている建築の姿はより鮮明なるでしょう。また彼らの理想に向かい一歩前進することになるでしょう・・その一歩の詳細は書かないけど出来てからのお楽しみってことにしておきます。
見学後デザイン・ヌーブ の事務所に戻り、事務所主宰者の一人でもある
樫原徹さん、学生の
斉川拓未さん、
野澤信一さんと深夜まで宴会となり私は床にゴロリと倒れ寝行ってしまいました。
手渡された
ガラス2003年春号を枕に・・それはデザイン・ヌーブに出入りするお友達と共にまとめられた内容で、彼らの理想を簡潔に掲げ紹介している冊子だと私は思いました。内容は
サスティナブル・アーキテクチャアの射程と題され
今世紀を生きる建築家としては身につけなければならない素養でもありますね。持続可能な建築を求めている現在世界の状況説明や建築の対応、素材などが簡潔にまとめてありました。
マティリアル・
エネルギー・イテグレーション・
リノベーション・
アーバニゼーションの項目から世界の動向を紹介するものでもありました。
太田が求める理想の建築は
バックミンスター・フラーから
ノーマン・フォスターへと受け継がれた「
ライトネス」「
エナジーレス」「
ワールドゲーム」や
ジェコブスンが唱えた「
曲がった道による歩行空間」「
用途混合の都市」「
高密度な都市」を攪拌混合させた中から紡ぎ出され 実践されて行くものと思われます。
太田の持つ
都市人としての快活さと
その周囲に巻き起こるベクトルは 私たちに東京でのサステナブルナ建築を見せてくれることになると思いました。
DUETはそこへ至る試作とし見ることが肝要なのです。
太田浩史達は原広司さんの弟子たちであるはずだが、まったく原の臭いがしないどころか「おっさんそんなことしてらた建築家は取り残されますよ」と逆教示した感があるのがたのしい・・と追記して置こう。
そんなことを思いながら東京を後にしました。DUET体験記は一端終わりますが、その後の建築も観察し記録してみるつもりです。来る03年6月21日太田浩史さんによる講演記録もいずれアップいたしますので、見ていただければ幸いです
2003年6月17日 佐藤敏宏 記
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